蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

他人と深く関わらずに生きるには

2007年10月23日 | 本の感想
他人と深く関わらずに生きるには(池田清彦 新潮文庫)

国家に必要な機能は、簡素な立法と警察(裁判)権力、徴税機能だけだという、自由放任主義を説いた本。
医者や教師もふくめ、一切の職業に資格は不要。食品添加物などの社会的な規制も不要だとする。なぜなら自由競争によって悪質で能力が劣った職業人、組織は淘汰されるからだという。ただし、そうした自由放任の社会の前提として国民がある程度賢いことが必要だとする。

しかし、こうした説が間違っていることは少し考えればわかる。
それは前提がおかしいからだ。
一般的な社会生活を送る上で、一切の規制がなく、すべてを自分自身で正しく判断するためには、相当に賢い(知識が豊富である)必要がある。
医学的知識や食品添加物、はては住宅の構造計算まですべての知識がなければ安心できない。日常生活に必要なこうした知識をすべて身につけることは天才的に多能でもない限り無理なわけで、こうした情報、知識が十分になくてもそこそこ安全な暮らしを送るために公的な規制の存在意義があると思う。(もちろん規制を守らない業者も多いわけだが、一定の歯止めになっていることは間違いない)

また、自由競争下において悪質業者が淘汰されるかどうかも大いに疑問だ。「悪貨は良貨を駆逐する」ともいうように、生き残るのは良心的な人ではなくて、ずるがしこい悪人かもしれない。

一方、収入(所得)にかける税金は低く、支出(消費)にかける税金は高くし、社会的公平を守るために相続税、贈与税を重くすべし、という主張は(それが税の本質により近いと思うので)賛成する。

著者の略歴を見ると、(私の偏見だが)福祉国家を主張してもおかしくなさそうな感じがする。
もしかして著者の本当の主張は本書で表面的に書かれたことの正反対で、本書では「自由放任主義を突き詰めるとこんなことになってしまいますよ」ということを読み手にわからせたかったのだろうか。
つまり本書全体が一種の反語表現だったのだろうか。そうだとしたらなかなかすごいと思うが、多分そうではないだろう。
コメント
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