蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

歓声から遠く離れて

2013年06月14日 | 本の感想
歓声から遠く離れて(中村 計 新潮文庫)

「不運の名選手たち」という雑誌連載からセレクトして文庫オリジナルにした作品。
根気が続かないマラソンランナー(小鴨由水)、イップスを克服できないプロゴルファー(佐藤信人)、オリンピックで実力を発揮できなかった三段跳び選手・水泳選手(杉林孝法・高橋繁浩)、実力・実績十分なのに地味なスタイルが災いしている登山家(栗秋正寿)を描いている。

イップスというのは、技術が完成されたプロが、心理的要因(考え過ぎ)で初心者でも簡単にこなせるようなことが出来なくなってしまうことで、特にゴルフのパットの時に症状が典型的に出るらしい。
本書で紹介されている尾崎建夫さんのエピソードが衝撃的だった。
「フジサンケイクラシック最終日、13番パー4。たった30センチのパーパットをにらみつけたまま、尾崎建夫プロはキャディーに向かって真顔で聞いたといいます、「おい、これはどうやったら入れられるんだ」」
佐藤さんもかつてはパットが得意だったのに、イップスに襲われて不調に陥る。単にパットが入らなくなるだけではなく、考え過ぎることによってプレイ全体がおかしくなり、やがて練習や私生活にまでその影響が及んでしまうプロセスをうまく纏めて書いてあって、いわゆるメンタルの大切さ、その反面としての恐ろしさが多少は理解できたような気がした。

本書の解説(高橋秀実)でも指摘されているが、他のエピソードの登場人物も似たような軌跡をたどっている。たいして努力をしている自覚もないのに、あれよあれよという間に競技成績があがってしまう、しかし、やがて細かな技術的なことやコーチやライバルなどとの人間関係が気になりだしてスランプに陥ってしまう・・・というような。
例外は、登山家・栗秋さんで、この人は、今はやり?のアルパインスタイル(大きな荷物をキャンプにあげていったりせず、短期間で長駆頂上をめざす)とは反対の伝統的なカプセルスタイルが得意。
天候などのコンディションが整うまで何日、何十日でも粘り強く待ち続け、出発しても決して無理をしない。妻も子供もいて、登山をしないときは家事もこなすような堅実さもあり、メンタルはどっしりとした錘をつけているようにしっかりしている。
登山スタイルは正反対で、知名度にも差があるが、なんというか登山のために生きている仙人のような生き方は山野井泰史さんに通じるものがあるな、と思った。というか、常に、文字通り生と死の境目を歩いているような一流の登山家って、みんなそんなものなのかもしれない。

同じ著者の「甲子園が割れた日」「佐賀北の夏」も良かったが、この本は「スローカーブをもう一球」を彷彿とさせるような、より一層上質なスポーツノンフィクションだった。本書には野球選手は登場しないが、山際さん以後、「これは」という書き手が出てこない野球のノンフィクション分野に超有望な書き手が現れたのかもしれない(というか、気づいてなかったのはオレだけかも)。プロ野球を描いた作品が読んでみないな。

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