ランシモ

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フラガールのいきさつを聞いてきた

2012-02-05 15:14:13 | うんちく・小ネタ

母校の中央大学で常磐興産社長のお話を聞いてきました。
スパリゾートハワイアンズであるが、フラガールがいる温泉と言った方がわかりやすい。
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先の東北震災で福島が壊滅的な痛手を負い、スパリゾートハワイアンズも例外ではありません。
3月11日の地震では建物は無事だったが、交通の遮断、原発の爆発で宿泊客600人以上が帰れなくなった。
会社の危機管理は元々が炭坑会社なので、一山一家の意識が強く指示がなくても、全員が連携して動いたそうです。
しかし4月11日にいわき市に直下型の地震が起き、宮城沖地震でも大丈夫だった施設が壊滅した。断層の真上に位置していた建物は震度6以上にもなり、ひび割れ地層の隆起などでがたがたになった。
3月の時点で3、4、5、6月ぐらいまで休業だと思われていたものが、一気にそれさえも不可能になった。

フラガール達は東北震災で施設が休業になったんで、踊る場所が無くなっっていた。
3月の震災の後、再開まで宣伝の為に地方行脚をしようと決めていた。

それが新聞やマスコミに発表されると,全国からオッファーが殺到したと言う。
映画フラガールで知名度が大きくなっていたのだろう。

34人のフラガールは、それから約半年の間に125箇所で講演した。
しかも、地元福島の状態や知人、身内などの震災での被害をしりつつ笑顔を振りまいて踊る、、、その気持ちはいかなるものだったろう。舞台ではニコニコしていても、陰では泣きたかっただろう。
斉藤さんの話で感激したのは、フラガール達からこの期間で脱落者が1人もいなかったことです。
20代の娘さんなのに、、、奇跡のようです。

いわきという街は炭坑の街だったので、命をかけた仕事柄なのか絆が強いのでしょう。

20年前にバブルがはじけた時に、自社フラガールを整理する話さえあった。
ハワイからダンサーをよべば年間1億円ですむが、踊り子達を基礎から教えて社員として雇うと費用が年間4億円。

その時に、フラガール達を外人部隊に変えていたならば、今のフラガール人気はなかっただろう。
地元出身フラガール達だからこそ、使命感さえ持って頑張れたのだろう。

常磐興産の復興は、はからずもフラガール達の頑張りで支えられていた。

大学の同窓の頑張りを応援しています。

コメント
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