松島よしお・・・
パンフにあった、言葉が、まさに彼を語るにピッタリだった。
「プロでもアマチュアでもなく、専門家でもなく、職業でも仕事でもなく、趣味でも娯楽でもなく、歌と音楽を、出会いの術(すべ)と、生きる手立てとして・・・40年」
もう、30年以上も前、彼の発行していた音楽雑誌や、ステージで歌う彼を見て、僕は知っていた。そのころ、彼は僕を当然知らない。
それから、幾年月・・・たぶん、師匠の岡田京子さんを通し、生松島氏と、挨拶を交わしたような気がする。
その技量や、音楽への貪欲な姿勢やら、プロになってもおかしくは無かったが、たぶん、彼がその道を選ばなかったのだと、思う。
東京で、ずっと、歌ってきた。
その彼が、東京を離れ、どうもG県に移住する。だから、この40周年のコンサートは、東京での最後のコンサートと、決めたらしい・・・
それは、ぜひ、聴いておきたいなぁ・・と、練馬まで出かけたのだった。
古くからの仲間達・彼の積極的な生き様の中から出合った、中国やベトナムなどの新しい人たち、そして、奥様・娘さん・・・と、芸達者な人たちと、見事な演奏が続いたのだった・・・
そうだ、この花岡かよこさんという、彼の奥様とも、同じステージなどに立ったこともあるのだが、話などしたこと無いのだった。その花岡さん・・・マルチに楽器をこなし、松島音楽のキーでもあるのだった。
よしだよしこさんも、ゲストで・・・
僕によしだよしこさんを引き合わせたのも、松島さんだった。
師匠の岡田京子さんと、松島さんの関係は、長くて・深い。このコンサートでも、松島さんの詩に、彼女が付けた曲が、披露された。メインのようだったか?
岡田さん!もはや、80をこえられたが、現役!まだまだ、ピアノのタッチ、力強かったな。
フォークなどと、くくれる音楽ではなく、時代や、社会に、しっかり正面から立ち向かって、切り口も鮮やかだったし、豊かな音色で、見事だ。
アジアの奏者も、その民族の音が、響き渡って、松島ワールドであった。
知り合いの志賀氏も、ギター・バンジョー・オートハープと活躍であった。
こういうコンサートは、力量もあって、僕らでは出来ないねぇ・・・
我がG県に移住するという・・・僕のT市と、1時間ほどの距離か?
会う機会も増えるか?
うれしくも・・・こ・わ・くもあるなぁ!
松島さん!見事なコンサートでした。