前から訪ねようと思っていた場所。
吉良さんの首をもって、亡きお殿様の無念をはらし・・・本懐を遂げてっと・・
しっかり、赤穂の義士伝のたたずまいであった。
お寺の由緒など見たら、オラの地元近くのT県の大中寺の高僧氏(今川義元の弟が出家して頑張ったお寺の和尚)から、学んだ高弟が開山したのが泉岳寺だったとかあって、急に親近感であった。
ここは学寮らしく、大戦の戦火でほとんど消失するも、檀家や多くの人の浄財で、立派に再建したようだ。
まあ、赤穂の大石さんたちの、ご威光で、見入りも多いと見たな。
銅像は大石さん。
お墓に続く参道は立派!
いわゆる47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があり、48士が並んでいるのだった。
かんしゃくもちで、短慮で、従業員を路頭に迷わしたお殿様の墓な!
結局、忠臣蔵・・赤穂の物語は「大石物語」であった。
俺は、この忠臣蔵はスッキーなのだった・・・・
で
大石さんのお墓。
義士記念館という、収蔵品を展示している館があるのだが、立派。
少ない資料ながら、見たほうが良いな。
入り口には、洒落た池の様なオブジェ・・・・この水の中の柱状の並びは、吉良邸から、ここ泉岳寺への隊列を模したものらしい・・・
館内は写真撮影禁止である。
綺麗だし、落ち着けるし、ベンチと灰皿はあるし・・・・ゆっくり、あの討ち入りなどに、思いを致しながら、くつろげます。
お勧めだな、この場所!
地下鉄で1本・・・都営浅草線・・浅草を降り立つと、駒形橋であった。
浅草寺にある、ご本尊さまが、川底から見つかって、引き上げられた場所。
そのゆかりの場所に、この駒形堂が建てられたって、ことになってるらしい・・(ウソだと思うけど・・・)
ちなみに、「駒形どじょう」はすぐ側・・・・今回は、時間が合わず食わなかった。
どうも、昨日の酒が残っている感じ・・・?
マッサージなど、贅沢に行なって・・・・T市に帰った。
スカイツリーもあってか、浅草は人が一杯だった・・・
あの震災以降、閑散としていたのは、昔のことのようである。
何も変わっていないのにさ。
この人ごみ・・・少し高くなったホッピー横丁など、大好きだった浅草が、少しつまらなくなって・・・な。