出合った頃、女房は、R大学文学部山岳科の出身と聞いた。
日本の2000m以上の山は結構登ったとも・・・
確かに、その頃、僕は「T市ランニングクラブ」などというものを作って、良くジョギングしていたのだ。なんせ・・・まだ・・・学校が職場で、子どもと良く走っていて、いまのように、めたぼで、はなく・・・考える葦のようであった・・・のだ。
その俺が一緒にジョギングしたら、100mも走ったらついてゆけないほど、体力がつまった、小さいベーベーであったのだった。
それがまあ・・・今や、グルコサミンがお友達のベーベーになっちまったのだった・・・。
毎朝・・・貼るカイロを、たくさん貼ってるし・・な。
坊主が、グルコサミン飲料を飲んじゃうのな!
で、張り紙が出たのさ。