館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

宗吾霊堂・・春家族旅行・やつは、最初からおじい様と呼んだ!

2013-04-15 05:46:40 | 旅は続く


4月は、女房企画で、必ず「旅行」なのであった。昨年は、沖縄を実現することが出来た。
今年は、千葉の娘や孫も一緒に、温泉に一泊が実現できた。

そして、ピンクの本箱は健在であった・・・




娘はもはや千葉県人の如く、役所への申請などの業務をやっているので、驚くほど道を知っている(これで人の道も覚えれば言うことなしなのだが・・・)。

まず向かったのは、義民伝ちゅうの義民・佐倉惣五郎を祭るお寺であった。
僕も、女房も、楽しみだったのだ。

場所は、千葉の佐倉・・・真言宗豊山派東勝寺・・・宗吾霊堂である。



親子は直訴の後・・磔。そのお墓。




時は1650年の初めのころ。
厳しい年貢の取立てに、百姓の一揆を思いとどまらせ、自ら近在の名主を束ね、藩内の諸機関に物申すも、受け入れられず。

人形仕立ての、立派な館がある。訪れる人は、少ないようだ・・・




女房への三行半・・子供や女房と今生の分かれを告げ、時の将軍家綱に直訴に及ぶ。



その直訴状。



直訴で、堀田家率いる藩の年貢は、引き下げられるが、作法にのっとり、民の祈りの声が渦巻く中、磔にされるのだった・・・子供も・・道連れなのだった・・・




この話を元に、有名な「べろだしチョンマ」の童話は創作されるのだった。

お土産やで、チョンマの人形を買っただよ。



その後、「歴博」や加曾利貝塚など行くのだが、それはすごすぎて、後日特別記事にて・・・

爆弾低気圧で大荒れの太平洋・・九十九里。

お宿は、白子温泉であった。



な、宿。



な、部屋。




テニスのクラブやサークル・団体を受け入れることを特徴にしている、町と温泉街らしい・・・

テニスコートだらけであった・・・そして、泊り客も。

温泉は、かなりの「塩泉」。

食事は、ちと、淋しかった・・・・酒も甘かった・・・

まあ、お値段なりよ!

家族旅行も、楽しいものである。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おじいさま (おおぬま)
2013-04-15 06:19:22
おじいさん、おじい、じいじ、じーさま
おじいさま、5段活用=3
今度は、僕のことを「お兄様」と教えましょう。
けっして、うみ○○○とは教えないように!
おしりペンペン!!

デスクワークの合間に、元息子の部屋を改装中・・・
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佐倉は (mototot)
2013-04-15 07:01:02
仕事のついでに何度か行ったけど、博物館とか、面白かった。 順天堂の発祥の家とかもあった。

きらちゃん、いい思い出になったね~
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孫との旅行も (空子)
2013-04-15 08:31:48
いいべ?
亡父や母と行った道後温泉。
父が特別嬉しそうだったのを思い出したyo。
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おおぬまどの (オ サム)
2013-04-15 19:56:54
了解!おにいさま・・・



俺も、息子部屋・客間に改造中。
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motototどの (オ サム)
2013-04-15 19:58:05
わし・・・きらの思い出より、千葉の博物の面白さに、感激している。
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空子さん (オ サム)
2013-04-15 19:58:52
こんどは、道後温泉のような、大した場所にいぐ!
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白子 (Aちゃん)
2013-04-17 00:05:46
試合で何度かお泊りしました。

そういえば、震災年の5月では「津波警報が出たら走って高いビルに避難してください」って注意つきだったわ。
走るったって結構な距離だったんだわ。
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Aちゃん (オ サム)
2013-04-17 06:20:38
やっぱり、あそこ、テニスだんべ。
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