館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2023年冬のおばぁスナック組の沖縄・集団自決の島「渡嘉敷島」に渡る。

2023-12-20 04:33:32 | 旅は続く






このお三方を案内して、4年目4回の沖縄旅だ。このお三方すっかり夜の街では「おばぁスナック」にはまってしまい、俺が呼んでいる呼び名は「おばぁスナック組」となる。
今回の旅のメインの2日目。集団自決のあった島「渡嘉敷島」に渡るのだ。昨年の企画だったが、見事に暴風雨に見舞われ、船は欠航で、2年越しの企画だ。この地に立たずして、「沖縄の戦跡を巡ったよ」と俺は言ってほしくないと思っている。
俺は、船酔いする・・・ヘタな運転では車でも酔う。



まずは、渡嘉敷の慰霊碑・・島で亡くなった戦没者が刻まれている。住民集団自決の現地北山近くにある。戦没者(日本将兵81人、軍人軍属92人、防衛隊42人、住民380人)。











2007年、教科書7社の集団自決の記述について「日本軍による自決命令や強制があった」の記述に文科省が削除・修正命令を出す。沖縄県民の戦争体験の核心部分を形成する、この問題の本質を歪める検定の在り方に、参加者11万の「教科書検定意見撤回を求める9.29県民大会となって爆発する。検定意見撤回を求める意見書は県内41市町村すべてで採択され、県議会も同一期間中には異例の2度の検定意見撤回の決議をあげた。その日本軍の現地のトップ、赤松大尉率いる本体の本部豪にハブに注意しながら入ってゆく。
後に大江健三郎の「沖縄ノート」が赤松への名誉棄損だと争われるが、最高裁で「自決命令があったと信じる相当の理由がある」と決着がつく。この赤松なんぞ、慰安婦を引き連れて、山中を移動したってんだから、どんだけさ。
崩落しないように囲まれた壕が10余・・あそこは壕があったなと思われる穴の痕跡が10余・・・







この集団自決に対し、森住卓氏は「暗い壕の中でじっと息をひそめ、わが子に、妻に、妹に、弟に、年老いた両親に手をかけ、最後に自らも命を絶った人々・・その死の淵からの叫びを聞く想像力を働かせること、戦争というものの極限の姿を学び、伝えることは、この国の今後の在り方につながる問題だと思っている」と論じている。

胸がつまる空気感・・・いたたまれないのだ・・ここ。写真に映る、小さな沢は、自決で真っ赤に染まったという。自決された人たちの人数を問えば、300人以上と記録されている。



島の反対側、米軍が押し寄せた海岸に向かう。途中、眼前の「ケラマブルー」が飛び込んでくる。得も言われぬ美しさだ。自決を強いられた、あの時もこんな美しいブルーだったんだろうな・・・









特攻艇は「マルレ」と呼ばれ、ベニヤ板製で船幅1.8米、船長5.6米、重量1200㎏の半滑走型ボートで120㎏の爆雷2個を搭載し、米軍艦艇を特攻攻撃するための秘密兵器であった。
当時、渡嘉敷島には赤松嘉次大尉率いる「海上挺進戦隊第三戦隊」(特攻艇100隻、人員540人余)が配備されていた。秘密兵器ったって、ベニヤ板で出来た小舟に爆弾積んで特攻するわけで、あきれるばかりなのだ。米軍が迫った時、船はいつも出撃することなく、背後の山に逃げ込むだけだったのだ・・・
前回には無かったが、掘った穴の岩が、広場に積まれ「掘った岩」として、表示・展示されていた。



最後に、あの曽野綾子が作った「戦跡碑」・・・集団自決は、親子兄弟が辱めを受けないための「愛」だったという。ひたすら、あきれるばかりの彼女の知性である。





島には、美しい砂岩や千枚岩が露出する地層がある。こんな場所は食虫植物の「モウセンゴケ」があるかもしれないと散策したら、あちらこちらにあっただよ。かわいいねぇ・・・・







島は、「赤瓦の家」で知られる「ペ・ポンギ」さんたちが、慰安婦として連れてこられた島だ。
「アリラン慰霊碑」が建つべくして建てられるが、数年前来た時より綺麗に整備されていた。



が・・・・カラスの死骸(まだ真新しかった)が吊るされ、明らかにいやがらせ、が行われていた。あの曽野綾子と同じ類の仕業であろう。



まだ、戦の最中、早々と占領した伊江島では、住民がここ渡嘉敷に強制移住させられる。住民が居なくなった伊江島では、本土に向けた飛行場建設が行われてゆく。
伊江島に返されるまで、お世話になったと、伊江島村民が建てた記念碑が役場からほど近い場所にある。



最後に、僕らは僅かな手がかりをもとに「ペ・ポンギ」さんたちの慰安所を探した。役場では若い方は名さえしらず、対応してくれた課長は「そんな話が合ったことは知っているが、場所は知らない」ということであった。1枚の写真・そこに映るかすかな今も残る痕跡・写りこむ山の稜線の形・・・まさにここだった。



沖縄の慰安婦について、ペ・ポンギさんについて、詳しく知りたい方に、この本をお勧めする。

3度目の渡嘉敷だったが、まだまだ、新しい発見だらけだ。
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