必ず寄る古本屋さん。1冊文庫か新書を買って、次回旅のお供にする。さすが沖縄関係の本は沢山あるのだ。
こちら、ジュンク堂・・そういえば、渋谷ジュンク堂閉店とな!紙が売れない時代だねぇ。ブックオフなどCDの買取も止めたそうな・・・
おらのように、紙の本読んで、CDで音楽聴くのは、旧人類になりつつある・・・
こちらも、沖縄本の宝庫なので必ず寄る。そして、散財!
読谷村の道の駅。物品販売しない日本で唯一の道の駅である。
ここから、タクシーを呼んで読谷村を回ったのだが・・・女房・ミネさん用に立ち寄った場所がこれから・・・
赤犬子宮は、唄三線の聖地として知られ、石碑には「歌と三味線の むかしはじま里や 犬子称阿がれ乃 神の美作」と記されている。
沖縄の唄三線の始祖として讃えられる「赤犬子(あかぬくー)」が、聖なる光に導かれて昇天した聖地とされており、3月4日「さんしんの日」は琉球古典音楽と舞が奉納される。一応、ミュージシャンの端くれ・末席ながら、読谷にきたら、手を合わせ、少しでもギターが上達するように・・・・
やってきたのは読谷村役場。読谷村は日本で一番人口の多い「村」である。
入り口の門が、この村の「心意気」を表現している。
女房が訪ねたいと、希望を叶える。
庭には、こちらの像が鎮座。琉球政府最初の(住民が選んだ)公選主席だ。無念の思いで、沖縄日本復帰の中心に居た。
バス停でバス待ちしていたら、目に飛び込んだ巨大な材木を運ぶトラック。
すぐにピンときた!「国頭さばくい(くんじゃんさばくい)」!
国頭では盛大な神事が行われ、数か所お披露目しながら、首里城に向かうらしい・・・
30日朝の沖縄タイムスで、この写真展が行われていることを知る。前日の谷茶で眺めた伊江島・城山(タッチュー)。伊江島が俺を呼んでいた今回旅。
阿波根さんの写真展・・絶対行かねばと・・この日の予定を変更して、浦添美術館に向かった。
俺の一人旅では、現地情報に合わせ、予定変更はよくあることさ。
米軍が侵入、占領して伊江島の土地を奪う・・・阿波根さんたちの粘り強い戦い、訴えのため本島に渡り「訴え行脚」。それは「乞食の行進」と呼ばれたのだが、やがてその戦いが、数年後「島ぐるみ闘争」となって行くのだった。
そんな時代の島の暮らし・乞食の行進の場面などなど、圧巻の写真展であった。復帰50年ならではの企画だったのだろうが・・これで終わるのはもったいないな。
能書きの展示はほとんどなく、写真が並ぶだけだが、その分想像力が刺激される。
所々で、「これは俺だよ~」とか「これは++さんだ」とか、見学の方々の話し声。
きっと今は伊江島を離れ暮らしている方々であろう・・・・
この写真展に巡り合わせて、幸せだった。
8日の2m圏内接触者。
*ハート医者・・1名。
*ハート看護師・1名。
*ハート薬局・・1名。
*とりせん・・・5名。
*真下さん。ばぁさん。
*濃厚接触・・女房。
すごいよ。
知らないことで…人を傷つけてしまう事も多々ありますね。特に大和人は、被差別民族の同胞について教えられていない…知ろうとしていない…ので、史実を掘り起こして伝える人が必要ですね。
南部にある「南北の塔」(キムンウタリ)へは、やっと見つけて花を手向けたことがあります。