避難していたガマに日本兵が入ってきて、追い出された。
ガマに隠れていた住民・・入り口を見張る日本兵・・・赤ん坊の泣き声がうるさく敵に見つかると、赤ん坊を殺す。
住民の住居に侵入し、わずかな食べ物を盗んでいった。
琉球方言が分からず、会話しているとスパイと疑われた。そして殺された方もいる。
枚挙いとまがないほど、沖縄戦の日本兵(本土の日本人)の仕業は残っている。
戦争は、まず、良心を破壊して始まるか?
まず、当時尊敬された日本人を見つけるのは大変だ。
官僚や軍人なら、皆無に近い・・・・
その中にあって、最後の数か月知事となった、島田叡(しまだあきら)と、沖縄に派遣された海軍のトップ、太田中将、沖縄警察部長、荒井退造の3人は、沖縄で今でも敬われている。
もっとも、荒井退造について僕が知るのは、今年宇都宮の博物館を訪ねたおり、偶然やっていた「荒井退造展」という特別展で知ることになるのだから、僕にとっては今年のエポックである。
太田中将はかなり資料もあり、自決した海軍司令部壕などもしっかり保存されているので、かなり分かっていた。
島田叡も、いくつか慰霊碑や記念碑などあって、触れる機会があった。
しかい、島田叡・荒井退造も資料が少なく、これから沖縄で研究が深まってゆく気がする。
さて、この本・・・可能な限りの取材・資料分析など行って、初めて理性的に島田叡を問い直した本だ。
そこには、沖縄の非戦闘員の住民をいかに、安全に疎開させ命を守るか・・・残った住民の食料を確保し命をつなぐか・・・もはや絶望の淵をさ迷う中でも「命どうたから」と、死なないで生きろと投げかけ続けることを、最後の半年、ともに手を組んで行った、荒井退造も二人三脚のごとく描かれている。
僕の沖縄ツアー参加の皆さん・・・11月には、このテーマは追えませんが、是非これから読んでください。ドキュメンタリーなタッチの文章で、あっという間、2時間もあれば読めます。
彼らも、開戦後、南部に撤収しながら、壕をあり歩き・・・終焉の地は未だ確定されずる・・・
まず、彼らの足跡を追ってみる・・・そして、終焉の地へ歩き出した道に立ってみる・・新たなテーマをいただいた。
3日はかかるな・・・1月か2月か?行かねば!
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