僕にとってゆかりの宮城亘理町荒浜海岸。
常磐自動車道が防波堤のようになって、津波の水位があがり、死者・行くへ不明者300余の海岸だ。
あの年の11月に最初におそるおそる訪ね、あまりに何もなくなっている姿に立ち尽くしてから、毎年訪ねている。
少し、復興の歩みは進んだように今回初めて感じた。
慰霊碑の傍には、津波の水位を示すモニュメント・・・恐ろしい高さがわかる・・・
ものすごく高い堤防は完成か?
しかも、その街よりには、さらに2重の堤防が・・・
店が流され、跡形もなかった「割烹あら浜」のついに復活。
中学校は1階部分が流され、巨大な石の碑も流され、他校を間借りで授業だったが、ついに復活。
1階部分は柱のみで、りっぱな校舎に学生たちの声が響いていた。
漁港の側の市場も開店。
うまそうな魚介が並んでいたが、帰りの日ではなく眺めるのみ・・・乾物を購入。
潮が入って使えなかった田んぼが復活し始めていたのはうれしかったなぁ・・・!
まだまだ、荒れ地は残る。
♪めぐる夏の雲が行く 川のほとりの月見草
一夜かぎりの花なのに 心をよせる人はなし
同じ土同じ草 変わりはないのか悲しいぞ
人は去り時は流れ 変わってゆくのか悲しいぞ♪ 「川のほとり」・笠木透
この店の「ピザ」が毎年の楽しみ・・・昨年火事で全焼・・・今年地域の助けもあって移転し再開。
僕は店主とすっかりなじみなので、なんたって楽しみ。そして見事に美味しいのだ。
焼き野菜&ベーコンピザ!!
午後2時過ぎにやっと自由時間をもらった・・・・
まずは入渓。
1時間半で5匹の釣果。春に比べ活性したヤマメやイワナは瀬尻や瀬脇に出ていて、魚体も大きい!
わずかな時間だったが、堪能した。
夏キノコの美味い奴、「タマゴタケ」もあちこちに生えていたが写真のみ。
4時には宿に戻り、まずは露天!
部屋呑みは今帰仁!
豪華な夕食でも飲み続け・・・8時前に寝た。
翌朝は朝飯前のみ自由時間・・・6時に入渓して、7時半まで釣る。
最大26センチのイワナも出て満足!
朝飯・・・ゆったり過ごし、9時半に館林へ出発。農家の露店で、トウモロコシ・大根・凍み大根の加工品など購入。
途中、まだ見学してない「蔵王真田」の遺跡を訪ねる。
幸村はあの大坂の陣は敗北を覚悟していたんだろうな。敵将の伊達政宗に次男や娘をかくまい・育てることを頼み、伊達も引き受ける。
あっぱれな、猛者たちだよな。次男は伊達の部下の片倉家に預けられ、片倉を名乗る。
「真田」の名を復権させることは最大の願いだったに違いない・・・
片倉家より、蔵王町の「矢附」「曲竹」の土地を知行される。その矢附の風景。
実は見学しようと駐車場に止めたら、近くで農耕していた方から声を掛けられ、案内をしましょうかと・・・!
その方は「矢附区長」「矢附真田の会顧問」という方であった。
知らない史跡での現地ガイドってな、10度訪ねるのが1度で済むほどの情報量や、生身の感想が聞ける。ラッキー以外に何ものでもなかった。
真田は紆余曲折ありながら、江戸の時代に、真田ゆかり程度の申し開きで江戸幕府から名乗ることを認められる・・・
明治近くなって(あるいは明治で)やっと、我は「真田幸村」の末裔と名乗れたのだった。
「幸村十世」!!!!
ちょいと寄ろうか?のまだめぐってない蔵王の真田旅は、思わぬサプライズがあって、良かったなぁ・・・・
復活しつつある「あら浜」・・・火事の後復活した「トムソーヤ」・・・魚は遊んでくれたし・・・
区長、我妻さん!ありがとうございました。
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