平成の大合併以前は、妻沼か?今は熊谷・・・我が家から30分ちょいの店でコンサート観戦であった。
早くから予約しておいたのだが・・・かぶりつきで聴きたいと・・・早めに店に行った。
山本剛(P)香川裕史(B)バイソン片山(Ds)・・・・大御所のピアノトリオだよな。
相変わらずのワン&オンリーなフレーズ連発・・・ノリの良いピアノは健在であった。
彼がデビューを果たした70年初頭・・すっかり参ってしまって、出るレコードは集め・近くでライブがあれば通ったのだった・・・
小気味の良いフレーズ・芯にブルースを愛しているそのJAZZは、多くのファンをとりこにしたピアノであった。
ちなみに、レコードやCD・・・・やや飽きる部分もある。
その山本JAZZにしばらくご無沙汰であったが、今回は役者がそろって、飛ぶように行ったのだった。
ルーツ・・・強いてあげればエロール・ガーナーのようでもあるが、右手から生まれるシングルトーンの美しさは、アール・ハインズがこの人に影響を与えていまいかと・・・そして、それが僕を虜にした部分だったか・・と、そんなこと考えながら聞き入ってしまったのだった。
ベース氏は昨年の山本氏のアルバムで始めて聴いた方なのだが、オーソドックスで、ウォーキングが素敵なベースであった。
そして、もはや大御所の域に近づいた、バイソン氏のドラムス!
繊細でいて大胆!たゆまぬリズムを繰り出しつつ、細かな芸も織り交ぜて、バンドを鼓舞していたのだった。
ライブの話をしたら、太鼓叩き氏が、「メールしておくから、ぜひ山本さんたちに楽屋で会いなよ」「それとバイソンによろしく言って」などというので、楽屋を襲った。
喜んで会ってもらえ、サインなんぞも、ミーハーにもらったのだった。
さて、なんと言っても主役はこちら・・・・・
日本で最高のボーカル・・・僕の愛してやまない「与世山 澄子さん」なのだ。
与世山澄子 WITH 山本剛トリオのJAZZライブだったのだ!
トリオは1・2曲ホットな演奏で盛り上げ・・やがて与世山澄子登場!
まさに、天使降臨だった。
1940年、八重山小浜島に生まれる。16歳でデビューし、1957年、ボブ・ホープとレス・ブラウン楽団と共演。
1972年の本土復帰まで米軍基地のクラブでフルオーケストラをバックに活躍する。復帰の年にジャズスポット「インタリュード」をオープン。
1983年、待望のファーストアルバム「イントロデュージング」(テイチク)が発売され地元沖縄以上に本土で熱い注目を集める・このアルバムはまさに山本剛さんがピアノだ。
1984年、ビリーホリディのピアノ奏者であった世界的ピアニスト、マル・ウォルドロンとの共作「ウィズ・マル」(テイチク)を、1985年には3rdアルバム「DUO」(東芝EMI)を発表。
まあ、そんな経歴だ。
毎年必ず那覇の与世山さんの店「インターリュード」に通い、彼女のライブを聴いている。
中々沖縄を出ない彼女だが、山本さんが誘うと、ヤマトにやってくるのだ。
だから、トリオとの相性・息も合うのであった。
なんだか、すごく緊張していた感じで、2曲ほど危うかったが、その後は独壇場だったなぁ・・・僕との距離は1mもない・・・し・あ・わ・せ・・だった!
2部果て後、予定調和のごとく、まあ、アンコール。
ところがである・・・アンコールの後、山本さんのリードで彼女のカーテンコールが行われ、終わろうとするも、客の拍手やまず・・・
ついに、2度目のアンコールが始まったのだった。
どのお客もこのままずっと、聞いていたかったにちがいないのだ。
いや・・すごいトリオで、すごい歌い手であった。
わし・・・また・・・インターリュードに行ぐ!!!
さて、長くなった・・・どうよ。ここらで、聴いてみっか?
クリック!
わし・・・彼女の店に、住み込みで働きたい。
至福のときよね~
11月下旬から、毎週ライブで、少し疲れ気味。
今日は師匠のライブで、ギター伴奏なのだ。
ファンなら最高だべ?
最近ご無沙汰なので飢えてる。良いな~~