不屈館の、賛助会員になっている。この時期会費を納めに行く。カメさんが出迎えてくれた。
今回は目的が他にもあった。
ヤマト世からアメリカ世へ・・・そのアメリカ世に入ってすぐの5年間ほどは、頼るものはなく、生きる糧を自分で切り開く、力強い時代でもあった。
「戦利品」と称し、基地から色々手を尽くし物品を盗む。おびただしい数の、転がっている薬莢や放置された車や戦車。それら鉄くずを集める。
そうした品々が、与那国を経由し、台湾を通って、大陸と「密貿易」活気を極めた時代があった。ある意味「ウチナー世」の数年間かもしれない。
人々はたくましかった。驚くほどたくましかった。この密貿易は、当局も黙認・軍も「自分たちで食わせられないから放置」。この驚くべき数年は、「県史」などにほとんど書かれていない。
書くことがはばかれる事態と、自分たちの加担もあるのだから、書けるわけがないか・・・・
この時代に「密貿易の女王」と呼ばれた「夏子・ナツコ」を書きたいと、調べているのだが、代表的なルポ本1冊しかない。そこには亀次郎への活動援助などが出てくるのだが、そこらの真相が知りたくて、不屈館の館長さん、ちひろさん(亀次郎さんの次女)に聞きたいと思って今回のとなった。当時の亀次郎の日記などに出てこないので、はっきりとは言えないが「らしい」と言って、写真の記事など見せてもらった。
観光客は戻ったというが、あの狂乱の中国人爆買いの頃の喧騒は無い。他の国の客は、群がらないのかもしれない。
天気は毎日上等だった。
最近良くゆく古本屋「ラテラ舎」・・・実に良い。ちはや書房もそうだが、沖縄本はまず品ぞろえが上等なのだ。
今回探す、昭和女学校の「梯梧学徒隊」の配属壕「識名の壕」。
その彼女たちの学びやがあった場所を探した。写真とここら・・という住所が頼り。
川沿いに校舎・・・安里川の側にあった。この安里川、首里の高台から流れ出し、この場所は数百メートルで海にそそぐ場所だ。
こういうものが残される沖縄はすごいなぁ・・・・
こんな衣装で、島を徘徊している。
メインの企画は午前中、遅くても1時ぐらいに終わる行程。午後は気の向くままなので、ある意味行き当たりばったり(疲れて、行き倒ればったりもある)。こちらは、3日目の午後。「末吉宮」・・・かなり前、探したが行きつけなかった場所だ。
琉球8社の1つで、首里の北に位置する。南には識名宮・・・宗教的北の守りだったか?明治になって、日本政府がかまわず、経済的にも支えず、信仰含め無残な状態になる。さらに戦争で破壊される。
現在の建物は1972年の復元の物である。管理は沖縄で一番大事にされている「波の上宮」が行っているらしい・・・
ゆいレールの市立病院前が最寄りだ。駅から山の中の末吉宮の場所を見定め、目指した。それなりに道しるべがあり、ほぼ迷わず到着。
思ったより、立派!来てみてよかったぜ。
コーヒーは良く飲む。喫茶店は、一服の涼だ。やちむん通りにある、育陶園の経営する喫茶店。
露天で、屋台でコーヒー。ガイドブックにも載ったので、観光客が良く来る。この場所は3度目の移転先なんだが、俺は最初の店からずっと通ってる。
何故か?コーヒーが美味いからさ。彼女はコーヒーにはこだわりがあって、さすがに美味しい。野外(危うい屋根はついているのだが・・)だから、たばこも吸えるしね。
ちなみに「ひばり屋」って名。
最終日はいつも、コージー。いつもホテルの無料朝食は米がまずいと、ぶーたれてるが・・・・・昔は、無料朝食が無いホテルだった。
朝飯は、ここともう一軒、モーニングを食べていた。今のホテルから歩いて5分。今度からは、メニュー見て美味しくなかったら、ここに来ると決めた。
それほどおなかがすいてなければ、トーストセット・・がっちりなら「洋食セット」だな。昔から比べると100円値上がりしたが、仕方ないか。
カムイサウルス(のレプリカ・・たって、2000万円だが・・)が沖縄にやって来た。
最終日朝に新聞で見て県立博物館にやって来た。無料公開中。そのうち、特別展開くらしい。
開館は9時・・・ちょいと前だったので、博物館の無料区域(庭だけど)見学。
アメリカ軍が戦利品で持って行って、NPO法人が頑張って取り返したって鐘はこれだったか!!
この石・・・・欲しい!!!
かっこいい!!!!
発見された当時は「むかわ竜(発見場所の地名)」だが、今は「カムイサウルス」になっていた。
実は2019年に俺は、科博(国立科学博物館・上野)でこの「特別展」で現物を見ている。
レプリカも、たがわぬ出来栄え。しかも科博と違って、見学者も少なく、じっくり見れたぜ。