田中正造没後記念アルバムに、まさか、沖縄移民の父と呼ばれる、当山久三まで出てくるとは・・と、あの時思った。
女房は、笠木さんに、当山久三と正造の出会いはあったのか?と、聞いたらしい。その時笠木さんは「俺が想像したんだ」と言うような話をされたと言っていたが、その時俺は、あの笠木さんがしっかり取材しないで書くとは思えないと思った。そのことは、ずっと気になっていた。
もちろん、フォークで有ろうと、リアリズムに徹し、有ったことしか書かないのがいいとは思わない。作者の想像性・創造性で、フィクションの方が、より現実を膨らませ、訴え、人々の心をつかむことだって大いにあるし、有ってよい。だが、この笠木さんの唄は、彼の創造では無い気がしていた。
当山久三・謝花昇・平良新助・・・・沖縄近代の自由民権運動の先駆者たちだ。民衆の貧困を救うべく、活動した3人・・・やがて、謝花は本土から送られた知事たちの激しい弾圧で心の病になり死を迎える。当山は弾圧の中やがて、海外移民政策で民衆の貧困を救うべく舵を切る。その当山から学び、ともに自由民権運動と海外移民を推し進めたのは9歳下の平良だ。
服部之総の自由民権運動論のごとく、沖縄の自由民権運動も、民衆の育ちを待てない性急さもあって、本土のそれのごとく「流産する自由民権運動」であった。
昨年、最後の沖縄旅で購入したこの本。
まさに、当山と田中の出会いが、笠木さんの唄のごとく、ルポされているではないか!!
俺は、穴が開くほどその部分を読んだ。
やっぱりな!笠木さんは、しっかり、田中と当山について学んで書いたね。天晴!
余談になるが・・・・
沖縄史・・・そうくれば、あの沖縄戦の歴史となるが・・・・
いやいや、沖縄の民族の心のうちを学ばんとすれば、近代の自由民権史は、避けて通れないし、すさまじい。
そればかりか、近世・さらに昔の沖縄の歴史を学ぶことは、沖縄の民族の心に近づくと、俺は思っているのだ。
1日の2m圏内接触者。
濃厚接触・女房・床屋にいにい&べーべー・・3名。
会社(立ち話)・吉・永・高・新・・・・・・4名。
やまやべーべー・・・・・・・・・・・・・・2名。