館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2018梅雨明けの沖縄その2・国頭方西街道を歩く(よれよれと・・)。

2018-06-28 04:52:05 | 旅は続く
琉球王国の時代には王都の首里城を起点として宿道と呼ばれる公道が延びていた。2018年2月にその1つ、「中頭方東街道(首里から勝連城まで・・)」の復元整備された部分を浦添から首里まで歩いた。比較的平坦で、市街地を通るので、5・6キロだったが、楽しく散策した。

その好印象で、今回読谷村喜名から名護を通って本部までの「国頭方西街道」の部分、恩納村に復元整備(????????????・・?の意味は後でわかる)された、歴史の道を歩く企画を2日目に組んだ。




ホテルからほどなくの一番近いバス停から名護西線に乗る。1時間30分のバス旅出発。



やがて仲泊で降りて、さっそく起点の「一里塚」を見学。のっけから、やや道に迷い‥やな予感がした・・・てーげーなんだよ・・目印。





一里塚そのものには、看板は無し。小高い木々に覆われた盛り土がそれであった。



歩いて5分で道の駅「恩納の駅」につく。
きっと、疲れると甘いものが食べたくなるに違いないと、、普段は食べないサーターアンダーギーをねえねから購入(これはいい選択であった)。



川を挟んで恩納村博物館がある。特別展(こちらの記事は後日)の拝観と、これから行く歴史の道のコースの(ちゃんとした、しっかりした地図がどこにも無いのだ)確認のために学芸員氏にレクチャーを受けるべくやってきた。




庭には、指定文化財の「唐人の墓碑」をチェック。これは1ど見ている。



疑問点を確認し、いよいよ地図の左端の真栄田の一里塚までの徒歩での散策の出発であった。



ここは、数年前に見たくてやってきた「仲泊遺跡」ここから歴史の道が始まる。
海洋博・・その開発で58号線の整備過程で見つかった貴重な遺跡で、その保存運動で58号線は大きく海岸寄りに道を変え、この遺跡が守られることになったのだった。
海洋博・・・その開発は、経済振興の背中合わせに、かなりの負の遺産を生んだようである。
僕は、あのウルトラマンの生みの親、金城哲夫も(彼は海洋博のコーディネートを任されるのだが)海洋博での軋轢で神経をすり減らし寿命を縮めたと思っているのだ。




当時を想像できる状態がいい。




いよいよ遺跡から続く、石畳を出発。見事に急こう配の山沿いの道が続く・・・



広くて1・5m、細い場所は1m程度、しかもU字の掘り状態の道・・・・どうやって注意する?



イユミーバンタ(魚群を発見する物見高台だべ)。



ほとんど平らな場所は無いのね・・・・登っては下り、右に左に曲がって・・・こんな、石畳・土むき出し・ごつごつの岩が土から突き出た道・・
そんなのが、しばらく続く・・・

なめてました・・・

俺・・なめてました・・ごめんなさい!

中頭方東街道の印象のまま、なめていた自分に、うすうす気づき・・・




しばらく山中を歩いた後(まだ行程の10分の1だんべ・・)一旦、58号線に出る(街道は基本58号線をなぞるのだ)。
かなりホッとする・・・



58号線をしばし歩くと、この目印・・・また、山の中に入れと・・・




階段・切通し・・斜面のヘリの1m程度の道(反対側は結構な崖)などまたまた歩き・・・・




やっと、やっとマークの文化財「ヤーガーのいしばし」に出る。





ほどなくして、歴史の道からの寄り道スポット(本線には戻らねばならない)久良波大主の墓が出現。少し悩んだが、2度目は無いので寄り道する・・・
さて久良波さん・・・ほとんど資料は無いが、まだ、琉球が統一される前あたりの在野の豪族と拝察。



元の道に戻り、わずか区間だが、舗装された緩やかな下り坂にほっとしながら、目印にやってきた。



ホッとする間もなく、またまた、山の中に入れと矢印が・・・
写真じゃわかりませんが、このお山への道・・斜度が70度はありましから~~




最後は中城城で果てた、築城の名手護佐丸はここ山田城辺りが拠点で、名をあげ、やがて読谷の「座喜味城」を作り、琉球統一に貢献した武将であった、ここに祖先の墓があったんだねぇ・・・



やっとお山を抜け出したころ・・・すでに3本持ってきた水は2本なくなり、大正解だったサーターアンダーギーが美味かった。
気温は33度程度だが、梅雨明けの湿気は80度を超える湿度と、天気予報が言っていたが、もう、よれよれだった。

なめてました・・わし・・ごめんなさい!!



歩くこと1キロ?救いは舗装道路・しかも緩やかな下り・・・行程の3分の2を歩いて、人気のある場所にやってきた。



と・・・・目印がまた・・・




寺川橋という、遺跡の場所だが、今は復元でもなく、架け替えた橋となっている。



ここから、さらに奥地へ歴史の道は続くのだが・・・・(たぶんあと1キロ程度)・・・このまま行ったら、熱中症?
見事に、疲れ果て・・・




歩くこと5分?テーマパークの「琉球村」があるのは知っていたので、ここで方針変更。
出発時の学芸員とのやり取りで、次の3つの文化財までは遠回りで車で行けることを確認しておいたので、琉球村のタクシーの待機所に向かい、電話番号が貼ってあったので、たくしーを呼び向かった。運転手氏も行ったことない場所らしく、いやそうだった・・・




1つ目の文化財。




2つ目の文化財。



3つ目はこの先なので、車では無理そうなので、あきらめる・・・



テーマパークの不味い昼飯を食って、がっつり水分を補給し・・・バスを待った。が


へとへとだった・・・・

最後を歩けなかったこと・・・3か所目が車で行けず残っていること・・これは、これから必ずリベンジだ!!
なめず・覚悟してリベンジだ(たぶん残りは1キロなので、なんてことない・・とおもう。登りだけどさ)

しかし、旅は、これからが面白い・・・・



バス停で待っていると、1台の個人タクシーがやってきた。

運転手「どこまで行くの那覇?」
俺「那覇」
運転手「バスだと1500円くらい?客待ちしてたんだけど(ほとんど中国の方なので、乗らないわなぁ・・・)捕まらないので、1000円でいいから乗らない?」

おもしろいねぇ・・・これぞ沖縄!普通にタクシーなら5000円ほどだ。冷房の利いた車中で那覇まで行けるとは・・・

三線が積んであるタクシー・普段は流しはしてない・今日はツアー会社の企画で片道だけ修学旅行生を運んできていた。
宮古の出身で、八重山民謡の師範で教えている・・・・そんな経歴だった。

民謡の話やら、沖縄のよもやま話やら、歌ってくれるやら、GOOD体験のタクシーだった。

山の中を頑張った俺への贈り物か?

「安里屋ユンタ」の含蓄・・・琉球から送られたいわば代官に支配される先島諸島・現地妻になることを拒んだあっぱれな安里屋のクヤマ。その心意気を天晴!と、隠語を使いながら(代官批判と分からないように)皆でおしゃべりするように歌った歌。島でおしゃべりを「ゆんたく」というが、ユンタはまさにゆんたくなのだと・・・

この島唄タクシーはお金出しても乗りたいたくしーだった。

運転手氏も僕を気に入ったらしく、名刺をくれ、機会があったら、電話して使ってくれと・・うれしいお言葉だった。旅は、これぞ醍醐味だねぇ・・・

降りるとき、2000円渡した。



ホテルに戻り、どっぷりシャワー!!!その後ワインを放り込み、うとうとした・・・



気力回復し。欲しかった沖縄産「生ライチ」を物色に。目星をつけた店で、1パック500円で購入できた。



ホテルでマッサージを頼み(このネーネは上手で、ネーネ話はそのうち出てくる)疲れを癒し、夜の那覇。

コマネチなのだが・・あるミッションが入っていて、ここに来ねばならなかった・・(ミッションは成功した)。



お通しがマグロなんだけど、生なので美味いったら、旨い。



定番、クーポンを使うと10本450円の串揚げも旨い。



お代わり・・・


  

これまた、定番の冷やしトマト・・


さすが、本日は疲れ果てたらしい・・・・

2軒目はどうしようかと思ったが、体の声に忠実に・・・

コマネチでやめて、爆睡した・・・・

まったくなぁ・・・


なめてたぜ!国頭方西街道!

残り、そのうちリベンジだ!


この長い、駄文・・・・興味のない方は、あきれた放浪記(しかも途中でへたる・・)最後まで読んだ方には、猛烈なハグと頬ずりを、わしゃしたい!

PS/な・・わけで、コマネチグラス・・・入手したぜ、海坊主殿!


















コメント
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