館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

笠木透お別れコンサートIN中津川。

2015-04-11 07:09:14 | 笠木透さんのこと。


彼のホームグラウンド中津川にやってきた。その文化会館。
40年以上もの彼の音楽・・その折々、彼と音楽つくりに携わったプロ・アマ、10を超える個人・グループが、彼の死を追悼し、彼の作った歌をうたったのだった。



恵那山を見たかったが、曇り、時々細い雨で見ることは出来なかった。また、機会もあろう・・・
中津川の流れは、見ることが出来た。長野と岐阜の県境の山、恵那山を源に木曽川に流れる川だ。
彼の山や川・・・それらは、慣用句のように彼の詩には登場し、それらに寄り添う花や木々もこの地であったろうと、うれしくなった。
「彼の詩の中の花」・・・そんな語りもやりたいものだなぁ・・・



6:30集合出発・・会場に着いたのは11時半を少し回っていた。
開場は1時、まずチケットを受け取り・どこか観光がてら昼飯・・などと考えていたが、すでに長い列が出来ていたのに驚き・・・飯どころではないと並ぶ。
合間に、師匠岡田さんに挨拶。



主催者の配慮で12:30には開場・・・席を確保し、近くのコンビニで飯を買って、ロストの昼飯であった。
わし・・おにぎりを作ってきたので、実に役に立った。



笠木さんのおかげで仲良くなった岡山・福島・茨城・千葉・石川・長野・岐阜などなどの仲間にも挨拶が出来て・・・



バスで乗り付ける一団もすんばらしかった。



会場には献花台も設けられ、彼を偲んだ・・・どうも、彼の気配が会場に漂ってはいたが・・・・



彼の朋友だろう、初期の名曲を一緒に作った、田口氏のブログに、亡くなってすぐ、この写真がアップされ、追悼の文が載った。
会場には笠木さんの写真・作品などのギャラリーがあったが、そこでまた、この写真に出会えた。

♪あのころわたしは若かった あのころわたしはなんでも出来た
   雨や波や雲やさかまく嵐の ただ中にただ中にとびこんで わけもわからずぶつかっていった♪

                           --時は流れて・笠木透作詞・田口正和作曲ーー

この歌が聞こえる写真で、すっかり気に入ってしまった僕であった。



発売後、すぐに完売の会場は、上手い言葉が見つからないが、あふれ出る気に満ちていた。

笠木さんの音楽の出発点だった、アマチュア。すでにその時代から今も歌い継がれる「名曲」が生まれんだよな。「彼とはたくさん遊んだ」「その遊びも、豪雨の中の登山になったり、激流をゴムボートで下ったりでした」などと・・・・・そういえば笠木さん「世間で無駄と思われていることこそ価値がある」などと言っていたなぁ。「偉大なる遊び」などとも・・・常識という価値観に対し、非常識の中に、次の時代の指針になる「新しい価値観」が生まれるということだなと理解し、僕もそこら、学んであそんでばかりいるのだった。

丁々発止渡り合うプロのグループになってからのメンバー達の演奏も、聴きごたえ十分だった。すべて、彼の作詞のもの・・・改めて、名作詞家でもあったなぁ。ここに坂庭さんが居たらなぁ…と、身に染みて思った次第だった。



出演者の中の有名人T氏のステージ・・・彼は今どうしているのだろう?と、興味はあった。フィールドフォークが生まれた時代、彼と彼のグループもそこにいた。笠木さんの初期の名曲を全国区にしたのは彼らでもあったと思う。僕もしばらくは彼らを「追っかけ」のように、関東でコンサートがあれば出かけた。

その彼のステージ。目を覆うばかりだった。

人間国宝やら、有名な人物と、彼や笠木さんが居た話などするのだが、結局自分の自慢話じゃないか・・・
考えると彼は、昔から「時事」やら「政治」はすりぬけるように避けてきた。
フォークソングの生い立ち、その紐帯には、「トピカル」なものを歌うDNAがあるのだ。それは、庶民の権力への抵抗でもあった。

無性に悲しかったなぁ。

トリは笠木さん亡き後の「雑花塾」だ。

笠木さんに頼らないこのチームを初めて聞いたような思いだった。
見事だった。笠木さんがピート・シーガーへの追悼、そしてその志を受け継ぐ決意など表現した最近の曲「メープルシロップ」には体が震えた。
何度かほかの場所で聴いたが、改めて、歌い継がれ・・これは、フォークソングになるな!と、思った次第。

現役の、今の笠木さんが降りてきそうな、快演だった。彼らは、笠木さんの死などものともせず、歌い続けるだろう。その確信は、僕を確実に鼓舞してくれた。



終盤になり、笠木さんとともにある時期生きた、全国のアマチュアたちが、名を呼ばれ、ステージに上がった。
そこに、館林ロストシティーランブラーズも呼ばれ、ステージに上げてもらった。
うれしく・誇らしくもあった。

ステージは数曲彼の名曲を、出演者・会場が一体になって歌い終わった。



終わって、終わりたくなく、アンコールの拍手は鳴りやまなかった・・・・やがて、スタンディングオベーションの中、名残を残し、終演となった。


さて、僕らロスト・皆、感激し喜んでいたが・・・改めて、これからが問われるぜ!


まだまだ、うかつに死ねないぜ!いっちょう、やったるか!


コメント (4)
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