館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

沖縄旅2013梅雨・・・4日目(最終日)・・不屈館が出来ていた!

2013-06-21 06:23:52 | 旅は続く
T市・・・・少雨ながら、やっと梅雨?

仕事に悩殺の毎日。どうしたの?大丈夫か?って、感じ。

大事な週に・・・・ギターをほとんど弾かなかった。これも、大丈夫かって感じ・・・

さて、沖縄は最終日。






いよいよ最終日・・・悲しい・・・で、モーニングセット。
沖縄は、残念ながら、コメが美味しくない。ホテルのバイキングも美味しくなかった。

ずっとモーニングはパンだったのだが、初めてコメにしてみた。

何と!旨いではないか?今までの沖縄で一番旨いかも?

ちょっと、発見だった。



いまだ・・・テーブル代わりのゲーム機は現役。



12:25のフライトなので、11時には空港へ向かわねば・・なので、およそ3時間しかない。海があって、散歩できてと・・・コースを選んだ。

有るのは知っていたが来た事無いので「波の上宮」にやってきた。



今から500年ほど前、統一王朝が成立した時代(本土は室町か?)貿易と、積極的に中国の技術を導入すべく渡来人を受け入れた。本土からも、移住ブームがあったらしい・・若狭町・・などの残る地名が、今にそのことを伝えています。その若狭の「波上熊野権現」。沖縄にとっては異国の宗教施設ですが、ここなどは、今も守る人がいて立派に残っているのである(他・・門だけとか、建物の跡・・などが多い気がする)。
観光の一団がやってきたが、中国の言葉が飛び交っていた・・・



隣は、人工ビーチの「波の上ビーチ」・・フライトまで2時間あれば泳げます・・と、宣伝されている。



沖縄は何処を歩いても、あの戦争に突き当たる・・




ここは、時々散歩するのに、こんな施設が出来ていた!

瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6月10日 - 2001年(平成13年)10月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、那覇市長(1期)、立法院議員(3期)、沖縄人民党委員長、日本共産党幹部会副委員長。

俺でも知ってる有名人じゃないの?



1907年我那覇に生まれる・沖縄県立二中、旧制第七高等学校(現鹿児島大学)社会主義運動に加わったことを理由に放校処分。1932年に丹那トンネル労働争議を指導して治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑で横浜刑務所に投獄。

戦後、名護町助役、うるま新報(現琉球新報)社長。在任中、沖縄人民党の結成に参加したことにより、軍の圧力で同社長を辞任。雑貨店を経営する傍らで沖縄人民党書記長となる。1952年の第1回立法院議員総選挙では最高得票数でトップ当選を果たす。

1954年10月、米軍は瀬長を、沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑(出入国管理令違反)で逮捕。たった1人の証言を証拠として弁護士なしの裁判にかけ、懲役2年の刑の判決をして、再び投獄された(沖縄人民党事件)。

1956年4月の出獄後、同年12月に行われた那覇市長選に出馬・大方の予想を覆し当選を果たす。だが占領軍出資の琉球銀行による那覇市への補助金と融資の打ち切り、預金凍結の措置に遭い市政運営の危機に見舞われるが、市民は自主的な納税によって瀬長を助けようとし、瀬長当選前の納税率が77%だったのに対し当選後は86%にものぼり、最高で97%にもなった。そのおかげで自主財源での市政運営できるようになり危機を脱する。

これに対し占領軍と琉球民主党は7度にわたる不信任決議を提出するが、いずれも不発に終わる。しびれを切らした占領軍は1957年、高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将が布令を改定し(米民政府高等弁務官布令143号、通称「瀬長布令」)1954年の投獄を理由に、瀬長を追放し被選挙権を剥奪した。

その後衆議院議員になり、市民から絶大な支持を得て、活躍という人だ。

亀さん!おれも知ってるぜ!




沖縄の返還・弱い人たちのために戦った不屈の人だったよな・・確かに!



ボランティアのおねえやおばあが、実に親切だった。ビデオの間、コーヒーなんか入れてくれたぜ。



亀さん関連資料がびっしり。




奥様も、素敵な人だったかんじ・・・



こういう政治家・・・いなくねか?今ごろはさ!


2013年3月開設・・・出来立てほやほやであった。

1時間あれば十分。ぜひお立ち寄りだな!すぐそばには「対馬丸記念館(疎開船がアメリカの潜水艦に沈没させられた、その資料館)」もある、海の見渡せる展望台もあって、散歩がてらで、十分、オ・キ・ナ・ワ・・・あの時をかみ締められます。




いや~最終日充実・・・の思いで、市場に戻り、館林の夕飯にすべく、天ぷらを購入して空港に向かったのだ。

また、来る!!帰る!!


コメント (9)
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