T市は、早春の光に満ちた、土曜の朝です。
そう、土曜日なのですが、音楽は、お休み。
旬が過ぎそうな、草稿中がありまして・・・
そして、今日はお上り。
友人としっとり、酒を酌み交わす予定です。
さて、記事はこの前の日曜日の話です。
今年も、反原発の地元の集まりで歌ってきた。
写真・・穏やかだが・・砂嵐の舞う、強風の中・・譜面台も立てられないのだった・・
「わたしの子供たちへ」をシングアウトする、ロスト・・そして、か~ちゃん。
早々と「再稼動」を宣言し・隣国での虐殺は無かったといい・つい最近は「東京裁判」は勝者の断罪と、一気に昔に戻ろうとする首相がこの国を支配し、この国民は、実態経済の伴わない、円安や株価の上昇に「自分にもそのおこぼれがくるかも?」と、あさましい姿で、70%を超える支持を贈っている。
あの、独裁者が生まれた戦前のようだ・・・
20兆もの復興予算に、各省庁が群がって、食い物にして、自らの利権の復活に奔走して、被災地の復興が2年経っても、ままならない状況が、2013年3・11の今だ。
原発も厳しい・・・憲法も危ない・・・時代の針の戻り方の早さに、僕らは「地道に」「手渡し」のようにしか、対峙できないもどかしさは、ある。
しかし、続けることの大事さは、身に沁みている。
このまま、壊れそうな地球を子供や孫に残して、おら、死ねない・・・
悪天候で、少し昨年より参加者は、少なかったかな?
小さな、手にかなう色んな企画を、断続的に続けようと思っている。
5月には「内部被ばくを生き抜く」の上映会を決めた。
さて、この集会では、1つの詩が読まれた。
福島の詩人が、チェルノブイリの現場に立って、その印象を、暮らす福島を重ねながら詠んだ詩なのだが・・・19年前に発表されたこの詩は、まるで予言のように、今、響く。
詩人の「想像力」に、この国の70%は学ぶべきだし、言葉の1つ1つを、胸に刻むべきだ。
神隠しされた街 若松丈太郎
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
ラジオで避難警報があって
「三日分の食料を準備してください」
多くの人は三日たてば帰れると思って
ちいさな手提げ袋をもって
なかには仔猫だけを抱いた老婆も
入院加療中の病人も
千百台のバスに乗って
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
鬼ごっこする子どもたちの歓声が
隣人との垣根ごしのあいさつが
郵便配達夫の自転車のベル音が
ボルシチを煮るにおいが
家々の窓の夜のあかりが
人びとの暮らしが
地図のうえからプリピャチ市が消えた
チェルノブイリ事故発生四十時間後のことである
千百台のバスに乗って
プリピャチ市民が二時間のあいだにちりぢりに
近隣三村あわせて四万九千人が消えた
四万九千人といえば
私の住む原町市の人口にひとしい
さらに
原子力発電所中心半径三〇kmゾーンは危険地帯とされ
十一日目の五月六日から三日のあいだに九万二千人が
あわせて約十五万人
人びとは一〇〇kmや一五〇km先の農村にちりぢりに消えた
半径三〇kmゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町
富岡町 楢葉町
浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
事故六年のちに避難命令が出た村さえもある
事故八年のちの旧プリピャチ市に
私たちは入った
亀裂がはいったペーヴメントの
亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
ツバメが飛んでいる
ハトが胸をふくらませている
チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている
蚊柱が回転している
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
四万五千の人びとがかくれんぼしている都市
鬼の私は捜しまわる
幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上のひろげたままの書類
ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう
ストロンチウム九〇 半減期 二七.七年
セシウム一三七 半減期 三〇年
プルトニウム二三九 半減期 二四四〇〇年
セシウムの放射線量が八分の一に減るまでに九十年
致死量八倍のセシウムは九十年後も生きものを殺しつづける
人は百年後のことに自分の手を下せないということであれば
人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす
連詩「かなしみの土地」より
そう、土曜日なのですが、音楽は、お休み。
旬が過ぎそうな、草稿中がありまして・・・
そして、今日はお上り。
友人としっとり、酒を酌み交わす予定です。
さて、記事はこの前の日曜日の話です。
今年も、反原発の地元の集まりで歌ってきた。
写真・・穏やかだが・・砂嵐の舞う、強風の中・・譜面台も立てられないのだった・・
「わたしの子供たちへ」をシングアウトする、ロスト・・そして、か~ちゃん。
早々と「再稼動」を宣言し・隣国での虐殺は無かったといい・つい最近は「東京裁判」は勝者の断罪と、一気に昔に戻ろうとする首相がこの国を支配し、この国民は、実態経済の伴わない、円安や株価の上昇に「自分にもそのおこぼれがくるかも?」と、あさましい姿で、70%を超える支持を贈っている。
あの、独裁者が生まれた戦前のようだ・・・
20兆もの復興予算に、各省庁が群がって、食い物にして、自らの利権の復活に奔走して、被災地の復興が2年経っても、ままならない状況が、2013年3・11の今だ。
原発も厳しい・・・憲法も危ない・・・時代の針の戻り方の早さに、僕らは「地道に」「手渡し」のようにしか、対峙できないもどかしさは、ある。
しかし、続けることの大事さは、身に沁みている。
このまま、壊れそうな地球を子供や孫に残して、おら、死ねない・・・
悪天候で、少し昨年より参加者は、少なかったかな?
小さな、手にかなう色んな企画を、断続的に続けようと思っている。
5月には「内部被ばくを生き抜く」の上映会を決めた。
さて、この集会では、1つの詩が読まれた。
福島の詩人が、チェルノブイリの現場に立って、その印象を、暮らす福島を重ねながら詠んだ詩なのだが・・・19年前に発表されたこの詩は、まるで予言のように、今、響く。
詩人の「想像力」に、この国の70%は学ぶべきだし、言葉の1つ1つを、胸に刻むべきだ。
神隠しされた街 若松丈太郎
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
ラジオで避難警報があって
「三日分の食料を準備してください」
多くの人は三日たてば帰れると思って
ちいさな手提げ袋をもって
なかには仔猫だけを抱いた老婆も
入院加療中の病人も
千百台のバスに乗って
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
鬼ごっこする子どもたちの歓声が
隣人との垣根ごしのあいさつが
郵便配達夫の自転車のベル音が
ボルシチを煮るにおいが
家々の窓の夜のあかりが
人びとの暮らしが
地図のうえからプリピャチ市が消えた
チェルノブイリ事故発生四十時間後のことである
千百台のバスに乗って
プリピャチ市民が二時間のあいだにちりぢりに
近隣三村あわせて四万九千人が消えた
四万九千人といえば
私の住む原町市の人口にひとしい
さらに
原子力発電所中心半径三〇kmゾーンは危険地帯とされ
十一日目の五月六日から三日のあいだに九万二千人が
あわせて約十五万人
人びとは一〇〇kmや一五〇km先の農村にちりぢりに消えた
半径三〇kmゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町
富岡町 楢葉町
浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
事故六年のちに避難命令が出た村さえもある
事故八年のちの旧プリピャチ市に
私たちは入った
亀裂がはいったペーヴメントの
亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
ツバメが飛んでいる
ハトが胸をふくらませている
チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている
蚊柱が回転している
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
四万五千の人びとがかくれんぼしている都市
鬼の私は捜しまわる
幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上のひろげたままの書類
ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう
ストロンチウム九〇 半減期 二七.七年
セシウム一三七 半減期 三〇年
プルトニウム二三九 半減期 二四四〇〇年
セシウムの放射線量が八分の一に減るまでに九十年
致死量八倍のセシウムは九十年後も生きものを殺しつづける
人は百年後のことに自分の手を下せないということであれば
人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす
連詩「かなしみの土地」より