館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

墓標なき八万の死者・清水圭太郎を暫らくぶりに反芻。

2012-12-26 00:08:25 | 生活雑感


便利な世の中になった・・・・

結婚したての頃読んだのだが、どなたかに貸して、戻ってこなかった。
角川の文庫だったが、今は絶版。
ふと、アマゾンで検索したら、古本でいくつもあった・・・

一番安い、番町書房の初版本を買った。

若者の右傾化・・・

分からないでも無い。

すでに「戦争を知らない子供たち」と呼ばれた僕ら。
それでも、親世代や祖父祖母の世代から、生々しい「戦争」を聞かされ、あふれるほど書物はあって、ベトナムには本土の基地から米兵が送られ、送り返され・・広島長崎は、現在進行形、ビキニもそうだった。戦争は、知らないが、身近にはあった。

その「戦争を知らない子供たち」の「子供たち」は、ゲームや、まるでゲームのような「砂の国」への空爆をTVで眺めてそだった・・・

戦争の惨状は、本当に知らないのだろう・・・

伝えること・過去に学ぶこと・本当のことを教えることが、ますます大事なのに、アベでは、ウソの徳目やら、「戦うこと・戦争をすること」が人間の、日本人の義務だと、教えそうで怖い・・・公明党との関係に終止符を打つ力関係、力を手に入れたら、やつは、9条を無きものにし、教育改悪に血道をそそぐだろう。

もう1度、学んでみようと、彼の大戦とか、原発とななんだったか?なんて本を読み始めている。

角川さんのこの本

満州開拓と、ソ連進行以降の、悲惨を極めた「撤退」のドキュメントだ。

著者はあとがきで「『戦後は終わった』という言葉が通念化して久しい今ごろ、私が満州開拓団の記録を書こうとするのは、『戦後は終わってはいない』という私の考え方を、1つの方法で実証してみたいと思ったからである。」と書いている。
この本のドキュメントは、ソ連参戦の後、守るはずの軍が、日本人開拓団を放棄し、捨て去り、何一つ保護することなかった、戦争の行為の悲惨さであり、実は軍隊とは、民を守らない、組織であるという事実であった。まさに、沖縄のそれである。

そして、かなりのページを割いて、女房の祖父の開拓団「駅馬(えきま)開拓団」(この中にはF本のお母様も居ました)の話が書かれている。祖父も、どこか、りっぱに描かれていて、初めて読んだ、20年前には「どこか、ウソっくせ~くね?」と、斜に読んだ。

僕が結婚した頃、この本を最初に読んだころは、まだ、祖父清水圭太郎は存命であった。

命からがら、満州から逃げ帰り、引き連れた多くの人たちの再入植のため、浅間山の麓の熊笹の原野を選び、1つの村を作ったその場所に、存在感たっぷりに暮らしていた。

僕もその村に、遊んで20有余年が過ぎた。

その間に、祖父の夢見た「うまし村」の変遷を眺め、命からがら逃げた村人の話を聞いたり、圭太郎の満州を自然と学ぶ機会に何度もめぐり合って、「ウソっくささ」は、どうも、ウソではなかったらしい・・・と、思うようになった。

この村に暮らす、生き残りは、つらいだろうが、語り継いで欲しい。そして、その子供たち・・・戦争を知らない子供たちは、親から聞いた話を、子供たちに伝える・・そんなことが、ますます、大事なんだと思う。

言い伝えること・・・その不確かな行為が、原発にも大事だ。

彼の大戦の語り部達は、居なくなっていくばかり・・時間は無い。

原発の語り部は・・・・まさに現在進行形・・・・重い口だろうが、開いて欲しいと、願う。もちろん、当事者として自分も、今、生きていると思っている。

♪命は1つ人生は一回 だから、命を捨てないようにね
  あわてると ついふらふらと お国のためなどと言われるとね

   青くなって しり込みなさい 逃げなさい かくれなさい ♪

コメント (4)
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