館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

小石川後楽園・お上り日記。

2011-03-30 05:38:33 | 旅は続く
昨日日記

1・期末棚卸しを昨日実施・今日から2日間自宅待機を決めた・およそあの日から日本では1台の車も作っていないだろう。

2・原発に関する保安院と政府のごまかしに暗澹たる思い。仮に「過度な不信感を起こさないため」と、情報をオブラートに包むのは「安全神話」の焼き直しだ。最初から、事故を小さく見せようと意図がありありだ。で、フリーのジャーナリストなどに、矛盾をつかれ、翌日訂正なんて、ことになる。記者クラブと言う密室に出席できる大手のマスコミにも、呆れている。

3・少なくとも「最悪のシナリオ」は提示し(僕はこうなると確信している)、そうならない対策のAが成功すれば、最悪はここまで落ち着く・対策Bが成功すれば、ここまで・・と「工程表」を示すべきだ。怖くて語れないとすれば、行き着いてしまった後にどうするの?これ以上は、言いたいが我慢する。

4・あの地で、命がけで働いている、下請けの労働者は、睡眠・食事は驚くほど劣悪と新聞に書いてある。1日2食、しかも非常食・仮眠だけ、布団も無い・水も制限・・って、おかしいだろう?時間制限の中、ローテーションもままならず頼りの彼らに、疲労回復の為の、せめてもの衣食住は最低の保障じゃないのか?何十キロも先の制服の皆様?

5・仕事関係の極緊密なベーベーに会う。「被災地・被災者がテレビに出るけど、毛皮の良い服きて、お化粧なんかしてるけど、変じゃない?」・・・言葉を失う。その服を着ていたときに、ただただ逃げて、それしかないこともあれば、着の身着のままで逃げて、やっとありあわせの支援物資を着れたのかもしれない。お化粧が(仮に自分でやったとしても)心の安寧になるとも聴く。焼け出されたように、衣服もボロボロ・汚れて、顔には、這いずり回った泥でも付いていれば、良いと言うのか?バラエティ番組ではないのだ!想像力の欠如も甚だしい・・・バラエティを垂れ流し続けているTVというメディアの、貧困が垣間見える。

6・Jリーグ選抜と日本代表のサッカー!ストイコビッチもザッケローニも日本脱出せず、天晴れ!選手の心意気も天晴れ!で・・・野球・・・??読売だっけ?あのしと(人)・・・。



さて、記事・・ちと古い・・混乱と、脳天気な記事だったので、掲載を自粛したのだった。もう、いいでしょう?




これは3月5日の記録である。お上りだった・・・・

東京を離れて、30年か・・その後出来た、すごい深い地下を走る地下鉄が仰山出来て、アクセスが昔の記憶とはかなり違う・・・

で、素敵じゃない新しい駅に降りた。
すぐ前は、宿だった。



宿から歩いて1分で、小石川後楽園だった・・・・。

江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造成。二代藩主の光圀の代に、作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ完成した庭園だそうだ。



東京ドームが側・・・美しくない・・・



このところ、六義園・清澄庭園と、こんなところ続きだったが、ここは、奥深い場所だった。



庭園には巨大な池と相場は決まっている。これは良い。



水戸と言えば、「梅」だ。あの偕楽園の梅は敷地も種類も多く、確かにすごかった。



ここの梅も盛りで、綺麗だった。



我が母校に理工学部が見える。

ここも(他と比べると特にかな?)戦災で相当やられたようである。

今、あちらこちらを発掘整備の途中であった。
途中の姿は美しくは無いのだが、致し方ない。
多くの建物・石垣・池・湿地など復元されたら壮観であろうと思った。



きのこは、こういうところに生える。間違いなく生える。



発掘された当時の石垣には、記号が書いてある。
東京は結構緑が多い。

田舎からお上りすると、普段の何倍も歩く。

ここは訪れる人がかなり多いと見た。
花の季節には、さらにであろう。
ちょっと。ゆったり感が無いかな?



翌朝は、今お気に入りの、浅草の立ち食いに寄った。

贅沢に、きつねうろんに、温泉卵をトッピングした。

旨い!
コメント (10)
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