館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

あかんべ山2008・当日がやってきた。(第二章)

2008-01-31 07:06:13 | あかんべ山ログ



いよいよ当日がやってきた。
会場の入り口画像だ(写真提供ZERO氏)。
赤地に白く「あかんべ山コンサート」と染められたのぼり旗が、なびいている。
初めてから、6回辺りまでは、ももの木保育園(しかも移転前の古い園舎だ)だった。その保育園を込む平地林は、地元では自殺の名所で「あかんべ山」と呼ばれていた。
僕はその名称がいたく気に入り、さらに、「フォークは世の偽り・権力の欺瞞にあかんべ~とそむいてこそフォークだ!」と合点し、コンサートのネーミングを決めたのだ。
やがて、参加者も増え、会場が狭くなって、ここ「郷谷公民館・講堂」に場所を移した。

城沼の北面に位置する。ODTのライブは反対岸の南面の、新ももの木だった。




集合は8:45分。
パンフへアンケート用紙や、ビラを折込み。受付をいつでもOK状態に整える。
街のあちらこちらに「道案内」の看板を設置する。(写真・脱力系のストーブにたむろする男達は、これから、軽トラックで看板を設置に行くのだ)
調理室では、ジャガイモが茹でられてゆく。

そして、10時20分から、本番同様の持ち時間・順番で直前の通しのリハーサルが行われるのだ。この辺りから、分刻みにおスケジュールだ。



受付は整い・ゴミ箱も完成だ。



音響は最後の仕上げに余念がない。



お客さんへのパンフ・半券代わりの恒例ペンダントも、もぎりに並んだ。
盛り上がってきましたね~~~



本番さながらのリハは、会場も真っ暗・ステージのみ照明が明るい。
これがね、大変なの、スポットって、暑くてかなわん!

初の試み。母親大会のおばさん達が、やきそばなどの食品を販売となった。
母親大会の資金稼ぎと言うことだが、焼きそば220円じゃ、それほど儲かるまい?引きこもったりの人が、作り、それを販売して、自立の援助が実態らしい・・・
旨かったらしい・・・やきそば・ポテトサラダ・煮豆・ひじきの煮物・山菜おこわ、すべて完売だったようである。

沢山人が集まる・・その場を有効に利用する。いいね~~~




リハトップはロストだ。当然写真が無い。
2番手「さのっこ」。ストリートで歌い続ける彼女達は、若く・まぶしく・音楽を抱きしめている。
リハ終了のホッとした3人がいいね。




クラカケス、そして2年連続2回目のゴスペルのSOUL JOYだ。
あかんべ山のお客さんは、初出場にはやさしい・・・
さて、2年目の鬼門をどうくぐるか?
2年目、仕事にも積極的で、上手にあかんべに付き合って、うれしかった。



進行のブースには、分刻みの進行表が張られ、チェックされる。




控え室・ステージ通路。
音響は休む暇が無い。



初出場・障害者バンド「いやし系オールスターズ」だ。
ギターを弾き・引率の指導員リーダーは若き女性Kさん1人だ。
ステージに臆して、マイクの前に立てない子・元気な子様々だ。
本番はいかに?



絵になるね~~



ワイルドフラワーズWITHチエのチエ独唱。
この子は上手くなった。生活が歌に乗ってきた。
なんやかやで、リハ終了。開場まで、15分だ。



リハ終了グループから、弁当が配られ、おのおの適当に食べる。



弁当はこれだ!こちらの定番、香月の「磯弁」なのだ。




開演を待つ間、練習に余念が無い者。ひと時の休息をする者。緊張と弛緩の様々な時間が流れるが、出演者・スタッフは同じ時間を、豊かに過ごしている、そんな雰囲気が今年も流れていた。



開場!

いつもの、O氏S氏が、受付に、安心印で、座っている。
彼らの存在が、コンサートの入り口の、暖かさを作っている。

もうすぐ、コンサートの1ベルが鳴り出す。
コメント (6)
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