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四十年程前に、日進町へ越してきた。当時はまだ市政が布かれていなかった。家の横に小高い薮があり、表の桜並木のうしろには低い田圃と御嶽山へ続く緑一色の山並みがあって静かな環境であった。
ここは私の育った古里の匂いがした。ことのおこりは、桜の舞い散る春の善光寺祭りに仲良し三人組で、寺に参り後ろに山を従えた静寂な寺の中で和尚さんに占いをしてもらったことに始まる。
和尚さんから「陽を向いてすすむべし」といわれ、どう言うことか聞くと「此処に住んで居たら岐阜へ岐阜に居たら名古屋へと言うように、明るい方へ広い方へと行くが良い」と例え話をしてくださった。私は人の後ろに付いてまわる単細胞の性分であったのに、ならばとさっさと名古屋へ嫁いで来た。しかも180度の転換を願って全く経験のない商売屋へである。
当時は都会の真ん中で毎日どんなに緑が恋しかったか、舗道のひび割れに芽をだしている草にも、心が震えたものである。
その後日進へ転居をしたが、名古屋に職をえて、通勤している分には仕事やら生活やらで、緑をたいして意識をしなかったが定年になり夫をなくしたりすると、周りを緑で囲まれているのは心がなごむ。
先日まで枯れ木と思っていた木や、花が終わった途端の桜が急に芽を吹き出して、若葉が萌黄色となって陽に輝き、日一日とそのかさを増やして膨らみ始める。この季節は雑木林も道の並木もさわさわと五月の風にそよいでいる。
外ばかりではない。猫のひたいほどの我が家の庭も私が手をつかねる程いろいろ込み入って伸びて来た。
毎日少しづつでもと、昨日は梅と椿に鋏を入れた。藤は毎年花も咲かせず蔓ばかりを伸ばす。枇杷も頭上花を抱かぬまま大きな若葉を広い空に向って伸ばしている。くろがねもちの太い幹には蔦が覆いかぶさっている。
ねずや槙にも、慌てず騒がず、わたしの剪定ぺースを待ってもらうとしても、雑草みたいに繁茂してくる低い草木達はどうしたものであろう。
紫陽花は八方に広がりお茶は一人分だけでもと、ニ番茶を摘んで揉んだ。一日花のしゃがも、提灯花やしだも増えて仕方が無い。
原因は私にあるのである。一株頂いたり買ったりしたものが、はびこってくるのである。このようにみどりに追いかけられても未だ昨日は土を二袋も買ってきて、茄子とトマトとピーマンを植え、さらに緑のカーテンにとごーやを植えようとしている。
老前整理はこんなところにもあるのであるが・・・痩せたしゃくやくが明日には花を咲かせようとしている。
俳句 封切らぬ玉露そのまま新茶揉む
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