殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ありのまま

2021年08月21日 21時43分56秒 | 前向き論

うちの犬ではありません…前にどこかで拾った画像。

表情があまりにケナゲで、お気に入りです。



前回の記事『幸せ病』のコメント欄で、いかどんさんからご質問をいただいた。

記事で触れた、“ありのまま”という言葉の意味を

いかどんさんは以前からずっと考えていらして

具体的に掘り下げていただきたいそうだ。

ちゃんと掘り下げられるかどうかわからないが

精一杯、お話しさせていただこうと思う。



本、ドラマ、歌…あちこちで登場する“ありのまま”。

同義語として、“自分らしく”というのもある。

私もこれを模索していた時期があり、その期間はけっこう長かった。


“ありのまま&自分らしく”の探索が開始されたのは、35年前。

夫の両親と同居を始めた26才の時だ。

私も若かったが、両親も50代になったばかりと若かった。

気性の激しい両親と、無知で無力な我々夫婦が狭い家の中で共に暮らし

そこには嫁ぎ先から毎日里帰りする小姑までいる。

平和なはずがなかった。


何でそんな所へ、のこのこ同居?

そう言われそうだが、発端は言わずと知れた夫の浮気。

すったもんだのあげくに女と別れた夫は

その後、私と暮らすのが怖くなって親のそばへ行きたがり

実家の増築と同居がトントン拍子に決まった。


一方、次男を妊娠中で離婚の選択肢が無かった私は

夫を親の監視下に置けば更生するんじゃないかと思ったのと

きつい両親だからこそ、早いうちに慣れておいた方がいいと考えて

夫の発作的な提案に従った。


そして夫婦共通の理由は、我々一家が実家で暮らすようなれば

義姉が少しは遠慮するだろう、というものであった。

父親の会社で働く義姉と夫の間にはイザコザが絶えなかったし

親の手先として、我々の生活に何かと口を出す義姉がうるさかったからだ。


それらの目論見が甘かったことは早晩、明らかになる。

きつい親に慣れるどころか、最初から取りつく島も無い。

同居して3日目に次男が生まれ、1週間後に退院した晩

授乳中に義父から怒鳴られて、母乳が止まるありさま。

食料の供給が突然ストップした新生児は

小さな口を鯉のようにパクパクさせていたものだ。

夫は怖がっていた父親と暮らすことで、強いストレスを抱えるようになり

浮気は止むどころか拍車がかかった。

我々の同居で危機感を強めた義姉は

以前にも増して長居をするようになり、毎週末の連泊が1日余計に増えただけ。

チーン。


ともあれ娘と嫁の身分差をはっきりさせたい義父は

意図的に私を家政婦として扱った。

周りの家族は現代を生きているというのに、私だけ“おしん”の時代を生きる羽目となる。

それを執行してもいい理由として彼らが掲げたのは

私に実家が無いことだった。

帰る所が無い者は、どう扱っても文句が出ない…

親のいない者はしつけがなってないので、厳しく矯正しなければならない…

この二条を公言する義父と、追従する他の家族によって

私の矯正は公然と行われた。


時に罵倒され、時につまらぬ理由で嘲笑され

何か言えば言葉尻をとらえられ、チンピラのように威嚇されれつつ

労働に勤しむ日々が続く。

おかしい…

もちろん、そう思った。

生きてたって怒られるか働くかで、ちっとも楽しくないじゃんか…

私は家畜になるために生まれてきたのか…

だったら死んだ方がいいんじゃないか…。


そのかたわらで、夫は浮気を繰り返す。

私が自ら命を絶たなかったのは

子供を自分と同じ境遇にしたくなかったのもあるが

夫と浮気相手への怒りも多いにある。

私が死ねば、すぐ交代要員が来るのは決定事項。

ほれ、補欠のコジキがスタンバイして待っとるでねぇか。

そうはいくか!

とまあ、怒りが私を延命したと言っても過言ではない。

今、生きているのは浮気のおかげかもしれなくてよ。


ともあれ、ハードな日々を送る私は

この苦しみの原因が何なのかを考えるようになった。

そもそもの根源は、早くからわかっている。

義姉の存在だ。


娘より目立ってはいけない。

娘が霞んではいけない。

何より、娘の里帰りを嫁が外で暴露してはいけない。

だから用事を言いつけて外部との接触を避けようとし

抵抗すれば全力で押さえつける。

娘を守りたい親の本能が、歪んだ形で私への攻撃となるメカニズム。

既婚者の男きょうだいが暮らす実家へ、嫁いだ娘が毎日帰るとは

こういうことなのである。


義姉の問題がどうにもならないとなると

何かしら自衛の策を取らなければならない。

そのために観察と分析を繰り返し、やがてわかった。

私は本来、明るく賑やかで、よく笑い、よく話す社交的な人間。

だが夫の家では、寡黙で従順な労働者になる以外の自分は認められず

反すればさらなる労働と罵倒の処罰が待っている。

ありのままでいてはいけない…

自分らしく生きてはならない…

そりゃつらいはずである。

違う人間になることを強要されるから

濡れたガーゼで鼻と口を覆われたように苦しいのだった。


それがわかったところで

これといった解決策が見当たらないのが残念なところだが

少なくとも、ありのままで生きることができれば

深呼吸ができそうな気がした。


で、私はやがて、ありのまま&自分らしくを探し当てたか。

否。

心の持ちようでは、どうにもならなかった。

10年後、家出という物理的な強行手段を取ることで

ようやく手に入れた。

…深呼吸ができた。


彼らと離れてみて思ったが、アレらは家族ではなく狂人だった。

私にはそれがわからず、家族として生きようとしたのが間違いだった。

狂気は狂気を呼び、ターゲットが死ぬまで攻撃の手を緩めない。

狂人は狂人で片付け、さっさと離れるべきだった。

アレらの“ありのまま”や“自分らしく”を通してやるために

こっちが犠牲になったのでは、たまったもんじゃない。

その中で10年グズグズしていた私もまた、狂気に毒されていたのかもしれない。


で、結論から言うと、“ありのまま”が気になり

自分らしく生きることに憧れるうちは、自分がアウェーにいると認識すべし。

アウェーなんだから、ありのままには生きられない。

そこは敵地だ。

敵地で、自分らしく生きたいなんて言ってる場合じゃない。

敵陣の中で、「ここがホームグランドだったら…」

なんてつぶやいてる場合じゃないのだ。

逆を言えば、ありのままでいられるとは…自分らしく生きられるとは…

幸せな場所にいるということなのである。


では、どうすればいいのか。

「今、アウェー」

ただ、そう思うだけでいい。

そして、それ以上は考えない。

アウェーに居ながらホームを夢見て、あれこれ考えてしまうから

余計に厄介になるのだ。


アウェーであることを認識すると、ホームに対して諦めがつく。

いつかホームが手に入る時が来るのかもしれないけど

今はその時ではないことが、頭の中ではっきりするのだ。

過去の私を含め、ありのままに生きにくい状況の人は

これをはっきりさせるのが嫌で、アウェーとホームの折衷ポイントを探し続け

時間だけが経過する中に立ちつくしている。

探しても待ち続けても、折衷ポイントは無い。


ホームへの未練に諦めがついたら、冷静になるものだ。

すると生半可な道徳心やセンチメンタリズムに影響されることなく

今の状況を正確にとらえることができる。

そうなれば今のアウェーが、ただの通過点に過ぎないことがわかってくる。


一生、このままではない。

アウェーと認識すれば、事態は必ず動く。

事態が動かなければ、自分が動けばいい。

“ありのまま”への第一歩は、ここから始まるんだ…多分。

人生ほぼアウェーの私は、そう思う。
コメント (8)
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