殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

結局金かよ・その1

2014年06月19日 21時22分56秒 | 前向き論
《春さん》

私が小学4年生になったばかりの4月

母チーコが入院することになった。

末期の胃癌だった。


ちょうど家政婦さんが辞めたばかりで

後任を探しているところだった。

しかし口うるさい祖父、小学生が2人、その上病人が出たとなると

労働条件が悪く、求人は難航していた。


そこへ彗星のごとく現れたのが

祖父の古い知り合いという春さんである。

彼女は当時48才。

古いホームドラマ「肝っ玉母さん」の京塚昌子を

もっと華やかにしたような人だ。

祖父から我が家の窮状を聞いて、大阪から駆けつけてくれたのだった。


優しく面白い春さんのおかげで

私と妹はチーコがいない淋しさを感じなかった。

参観日に来てくれ、振り返るたびに教室の後ろから

おどけて手を振ってくれた。

オートミールやマカロニグラタンなど

田舎の子供には未知の食べ物をよく作って食べさせてくれた。

春さんの回りには、いつも明るくて温かい空気が流れていた。


3ヶ月後、チーコは退院した。

本人は胃を切ったと思い込んでいたが

開腹したら手遅れだったので、そのまま閉じたのだった。

家事に看病にせわしく働きながら

常に上機嫌で優しい気配りを見せる春さんを

チーコは姉のように慕い

父も「頭が良くて肝が太い」とほめていた。



春さんが来て1年後の春休み

当時開催されていた、大阪万博に連れて行ってもらった。

休暇で大阪へ帰省する春さんにくっついて行ったのだ。


その日、いつになく気分の良かったチーコも

父の車で新幹線の駅まで見送りに来た。

出発前に家の前で撮った写真が、翌年チーコの遺影になった。


初めての新幹線で、泉大津にある春さんの団地に向かう。

そこには大学生の娘さんが2人と、春さんのお母さん

それに病み上がりで療養中という春さんのご主人がいた。


その時初めて、春さんにご主人がいたことを知った。

うちでは祖父と同じ部屋で寝起きし

大阪ではご主人と寝起きする春さんの不可解に

11才の頭をひねったが、それを不倫と呼ぶことなど

小学生の私には知るよしもなかった。

みんな優しかったし、万博見物へ行ったり

難波のデパートで洋服やローラースケートを

買ってもらったりしているうちに忘れた。


楽しかった万博行きは、春さんとの暮らしのフィナーレでもあった。

春さんには家族がいる。

いつまでも救世主として、うちにとどまるわけにはいかないのだ。

「元気でね!」

春さんは笑って手を振り、新幹線で帰って行った。



翌日、入れ替わりにミツさんが訪れた。

一人娘のチーコが死ぬと知った祖父は

家政婦さんでなく家族を探すことに決め、知人の紹介で

戦争未亡人のミツさんを迎えることにしたのだった。

この人選には、春さんの意見も取り入れられていた。

ミツさんもいい人だったが、7年後、祖父と別れた。


20年余りが経過した。

病気で弱ってきた80代半ばの祖父は

その頃、キミさんという70代の女性と2人で暮らしていた。

彼女もこれまたいい人で、献身的に祖父の面倒を見た。

すでに結婚していた私達姉妹や子供達にも、それは良くしてくれた。


そんなある日、春さんが突然大阪からやって来た。

「最後に一目だけでも会わせて欲しい」

春さんは言った。


両親は困った。

2人の愛の巣へ“昔の女”を連れて行けば、キミさんは傷つく。

それは家族の問題でなく、男と女の問題なのだ。

居場所を教えるわけにはいかなかった。


春さんはそれをキミさんの意思と思い込み

「もし今の女性が会わせるのを拒むのなら、刺し違えてでも…」

と言い放ったが、願いは叶えられず

しょんぼりと大阪へ帰って行ったという。


両親は春さんのこの言動を「情熱」と表現し

それを聞いた私は爆笑した。

情熱…それは我々家族特有のユーモアである。

春さんが、祖父に最後のお金をねだりに来たのはわかっていた。


それまでにも度々、祖父は大阪の春さんに

まとまったお金を送金していた。

我々家族は、祖父の内妻達の本当の目的を

とうの昔から知っていた。

そもそも春さんが最初にうちへ来たのは

病気療養中のご主人に代わって

2人の娘さんを大学に通わせるためだった。

ミツさんにも援助が必要な家族がいたし

キミさんもやがて似たようなことになると知っていた。


「おじいちゃんは生涯で、一体何人を扶養するつもりだろう」

我々家族は、冗談交じりに話すことはあっても

彼女達を悪く言う習慣は無く、そっちに渡る金品にも興味は無かった。

うるさい祖父に耐えるより

需要と供給の合致した人にお任せする方が

誰にとっても良策である。


我々は彼女達の営業活動に垣間見える、思いやりや温かさを尊重した。

刺し違えてでも…春さんの言葉は、情にお金が絡むからこその真剣であり

我々家族にとっては、やはり情熱と評価されるべき名言なのであった。


ともあれ、生きた教材を日々目の当たりにすることで

私は小学生の頃から、一つの教訓について

仮定と確認を積み重ねていった。

たいした教訓ではない。

「結局お金」

その一言に尽きる。


(続く)
コメント (11)
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