めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

不安が先行する日本人

2018-11-28 18:41:22 | 日本人

便利で豊かな暮らしは、本当に私達にとって幸せをもたらすのであろうか、
最近ますますこの疑問が膨らみ続け、これまでの人生が、自分にとって
周囲の人達にとって、どうだったのかが気になって来ました。
社会に出て働く様に成って、自分だけでなく家族をも豊かな生活をする事で、
自分達は幸せな人生を送れて来たと思っていたのですが、本当に、
この生き方が、幸せに成るためのベストの手段であったのか、考えると
自分の選んだ道はともかく、無事、これまで生きて来れたのだから、幸せで
有ったと考えるべきなのかも知れません。
世の中には、様々なアクシデントや不幸に見舞われて、辛い人生を送って来た
幸せとは程遠い人達も沢山いるのですから、その様な人達に比べれば、どれ程
恵まれた生活を送って来たか、ある意味、贅沢とも言えるのかもしれません。

しかしながら、幸せと、一言で言っても、それを感じるのは個人であり、
考え方感じ方が其々違っている事から、誰もが同じ思いと成る事は有りません。
人によっては、人生無上の快楽と感じても、一方では、そんなに感動する程でなく
むしろ、不快に感じてしまう事すらあるのです。
つまり、幸せとか喜びとかは、極めて個人的な感覚であり、自分が幸せと思っても
他人は同じく幸せと感じないのです。

多くの人達は、この世に生を受けてから、幸せに成る為に生きているとも言えます。
苦労を重ねるのも、幸せを感じたいが為に我慢しているのであって、苦労を目的と
している人は殆ど無く、幸せへの過程でたまたま苦労しているに過ぎないのです。
他人も動物も、自分の欲望を満たすために戦い、苦しい中にいながらも、その先に在る
楽しさや喜びを求めていると言えるのです。

つまり、いかなる生活をしていても、幸せに成りたいがために生きているのであって、
ただ、終末を迎えるまでの命の火をともしているだけではないのです。
しかし、幸せの定義が余りにも曖昧である事から、私達は、幸せに成りたいとするも
自分にとって本当の幸せは何であるかが解っていないのです。
なぜ、苦しいのか、生活が豊かでないから、収入が思い通りに増えないから、身の回りの
人達と楽しく過ごせないから、と様々な理由を並べても、では一体どの様な事が出来たら
どの様な物を手にする事が出来たら、本当の幸せが掴めるのか、それが解っていないから
私達は苦しんでいると言えるのです。

貧乏であること、思い通りの仕事が出来ない事、欲しいものが手に入らない事等、
不幸と思える項目は幾らでも挙げられます。しかし、その理由は、殆ど、他の人との比較で
生まれているものであって、自分自身の境遇が本当に不幸であるかは、解らないのです。
人も羨む生活を行っていても、本人にしてみれば不幸と思っている人もいるのです。
何と可哀想な生活と思っても、本人にしてみれば、非常に幸せと思っている場合もあるのです。

世界的に見ても、豊かな経済大国とされる日本は、誰もが幸せに暮らしていると思われがちですが
当の日本人からすれば、自分は幸せな人生を送っていると心から思っている人は少なく、
外見的には幸せそうでも、本人からすれば、もっと幸せに成りたいと思っている事が多いのです。
では、何をもって不幸と思うのか、その多くは、やはり、自分より豊かな生活をしている人を見て
自分がその生活を得られないとして、それは不幸と思っているのです。

人の持つ幸不幸観は、本人の心の中で育つものではなく、自分以外の人間と比べて価値観を定め
自分の幸福度を計る事で、いつまで経っても幸福になれないと言えるのです。
つまり、比較する事で、自分の心の高揚感は一気に落ちてしまう事が多いと言えるのです。
自分自身の心の中に幸せの尺度が在るのでは無く、その値は、他人が決めていると言えるのです。
その為、本心ではなくとも、人が自分を幸せと認めてくれれば、自分は幸せであると納得するのです。
より経済的に豊かな生活をしたり、多くの高額の物を身に付けたがるのは、それらを見て、他人が
自分が幸せであると決めてくれる事が生きる為の目的であり、自分が、幸せな人生を送っていると
初めて理解するのです。

しかし、この様な生き方は、人々が幸せとする社会的に価値の有る物を身に付けている時は良いのですが、
一度、その幸せの衣を脱ぎ棄てれば、全く逆の評価を受け、不幸のどん底に落ちてしまうのです。
何故、幸せと思えないのか、それは、幸せと評価される基準が自分で決められず、簡単に評価が落ちて
不幸せな自分を知らされる恐れがあるからです。
その不安が、本当は、人々の心を苦しめ、自分にとって本当の幸せを見つけられない原因と成っているんです。
多くの日本人が、消費経済社会で生きて行くにあたって、常に幸せの基準を社会に求め続けている事とで
いつまで経っても不安な生活から抜け出す事が出来ず、どんなに豊かな生活をしても不幸と感じるのです。

では、本当に幸せを感じるにはどうしたら良いか、それは、まず、自分の生き方を他人と比較しない事です。
学校生活で学んだ、テストの点数に依る自己評価を棄てる事です。
日本人の最大の不幸は、物事を比較する事でより豊かな生活が出来るようになった反面、自分自身の評価を
社会的価値と比べる事に依って、自分をいつも不幸と評価してしまうのです。
高い山に登って、頂上から周囲を見渡すと、遥かに高い山が幾つもそびえている事が有ります。
そんな時、自分の登った山が低いからと言って、自分が苦労して登った事を否定すれば、自分の努力を
否定する事になるのです。まずは、自分が登った山の高さとその頂上に至った自分を評価する事が
大切と言えるのです。

多くの日本人は、世界的に見ても真面目で努力家と言えます。
先進国の中でも、国民全体の知識レベルは非常に高く、如何に教育が行き届いているかが解ります。
しかし、その努力を自分自身で認められない人が多いのです。一生懸命頑張っても成果が上がらず
自分より少しでも上と感じる人がいれば、自分の努力の過程を否定してしまう人が多いのです。
この事は、他人に対しても、成果が上げられなかったり成績が伸び悩んでいる人を見ると、その数値を
他の人と比較して、酷評してしまう人も少なく在りません。

多くの日本人が、他人の評価が気になり、自分自身の努力に否定的と成りやすいのです。
しかし、自分自身が納得する為には、自分の生き方や努力の結果をシッカリと受け止め、自分の生き様として
肯定的に評価しなければならないのです。なぜなら、自分自身が認められなければ、その努力は、自分の
力として定着しないからなのです。
良いとする他人の評価を自分自身の評価として受け入れていると、いつも、他人の考えが心の中に在って
安心した生活を送れないのです。
日本人が、繊細と言うかどちらかと言うと気弱な民族であるのは、常に、他人の評価を気にする傾向があり
自身の考えや行動に自信をもっていない事に因るのです。

私達は、年齢性別に関わらず、心が豊かである以上に、安心でなければならないのです。
日本人の不幸は、この安心が持てない人がとても多い事です。つまり、自分が信じられれない人が多くて
常に他人の評価を気にして、人の行いを真似て生きよとする傾向がある事です。
特に、社会的地位のある人達や、マスコミやテレビに出てくる人が言う事には、盲目的に従う事が多く
テレビのゴールデンタイムに放映される健康番組に登場する医者や著名人の言う事は神の言葉であり
健康に良いとする食品が紹介されれば、翌日のマーケットでは、何処に行っても品切れとなっています。
医者やスポーツ専門化が健康にいいとする運動法を紹介すれば、猫も杓子も真似をします。
しかし、過去の様々な健康法や健康食品が、今や誰も見向きもしない事が多く、如何に、私達は、
自分自身に自信がなく、生活に安心が無い事が解ります。

大切な事は、まずは自分を信じる事です。なぜなら、これまで生きて来れたのも自分自身の努力だからです。
周囲の人達からの助けも有りますが、それを参考にして決定したのは自分なのですから。
自分自身に自信がない人が多い日本では、自分に自信がある人は注目されます。
その為、様々な特技を持って芸能界に君臨する人が多いのですが、誰でも、自分の生き方を信じていれば
いつの間にかにその姿に魅力を感じて人が集まり、その結果経済社会を生きる糧が手に入るのです。

昔から、努力をする事を私達は求められますが、この事は、自分の考え方生き方を長く行う事を言っていて
他人より勝る事をしなさいと言う事ではないのです。努力は、自分にとって辛く大変な事をする事と
思っている人が多いですが、それは長続きするものでなく、直ぐに、辞めてしまうのです。
出来るなら、自分が一番楽しい事やりたいことを、自分のペースで長く続ける事を努力と言います。
他人が一週間でする事を、頑張って一日で行う事を努力とは言いません。それは、心身共に疲れが
残るだけでその後の生活にマイナスと成ります。自分のペースで、一年かけても続けられる事が大切で
その変わらない自分の方法を長く続ける人が努力家であり、他人に認められるのです。

現代人は直ぐに答えを見つけたがり、利益が無いと不満と成ります。
答えは人によって違い、利益は、時と場合によって得られる事も得られない事も有るのが普通です。
この様々な答えや様々な結果が人を成長させ、豊かな人生を送らせる事と成るのです。
誰かが決めた答えに従って生きる事程詰まらない事は有りません。
まずは、自分の人生をシッカリと認める事であり、自らの生き方を人生の指針とする事が大切です。
自分の心を育て自分の生き方を信じて行く事が自分自身の安心につながり、他人からは、心豊かな
人格者として認められる人生を創り上げていく事と成るのです。
誰もが、人としてその価値を認められる事が大切で有り、人間として人の上に人は無いのです。
私たち日本人が一番足りないもの、それは自分自身に対する自信と安心の心と言えます。

 



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