めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

近くて遠い男女の中

2018-12-07 17:39:48 | 日本人

日本の若者達が、苦しんでいます。
自分の思いが叶えられず、人の考えを理解できず、ただ、感情のままに
お金と時間を消費している自己満足の人達がとても多くなりました。
社会は、社会にトラブルが生じない様、様々な形で子供達を教育し抑制し
大人の言い成りとなり、現代社会に忠実な若者が育つ様に、子供達を
優秀で従順なしもべの様に仕向け教育して来ました。

近年、若者達は、誰もが、外見的だけでなく、中身も非常に素直で良い子で
大人にとってはとても扱いやすい様になり、かつての様なわがままで暴力的な
学園紛争を起こす事も無くなりました。
大学が暴力的な若者によって支配される事は無くなり、多くの若者達は
楽しい学生生活を謳歌している様に思えます。
子供達も、利発な子供が増え、自分の事をシッカリと主張できる、まるで
テレビの子役の様な、大人もびっくりする程対応能力のある子供が多く成り
社会全体が、幸せに向かっているかのように思えてしまいます。

しかし、この事を人間の進歩とか成長とか、社会の発展と捉えるのは早計です。
何故なら、今の子供達の心の闇は、昔以上に暗く深くなっているのです。
大人たちが感じる、優秀で頼もしい子供達の多くが、その様な術を身に付けていて
相手に応じて巧みに使い分けているのです。
小学生の子供達も、大人に対してどのような態度を取りどの様な言葉を発すれば
大人が喜ぶかを良く知っています。

まるでテレビの子役が、立て板に水の如く、長セリフを言う様に、今の子供達は
自分の本心ではなく、置かれた環境で、どの様な態度を取れば、大人たちは喜び
自分は褒められると解っているのです。大人達も大人顔負けの言い回しや知識を
並べ立てる子供を見ると、思わず褒めたたえ、褒美を与えたくなるのです。

この傾向は、社会全体に蔓延していて、多くの人々は常に本心を隠し、社会的に
好まれる、自分に危害が加えられない、常に利益を目的とした言葉と態度を示し
誰もが、当たり障りのない人付き合いを行っています。
確かに、社会的にトラブルの無い生活が出来るかも知れませんが、常に
他人の目を気にしながら、本心ではない言葉や態度を示し続ける事は、
本人にとっては、大きな心の負担を生んでしまうのです。

例えば、日々テレビ番組に出演するタレントや俳優たちは、自分達が視聴者に
常に好まれるような言葉と態度を示します。
その為、視聴者達は、その言葉や態度をその人の人格と考え、自分達が好む
魅力的な姿で有ればファンと成ります。
しかし、実際は、全く違った性格で有ったり、人格である事が多いのです。
その為、その著名人がプライベートと成った時、全く違った態度を取ったり
想像もしない言動を行っている事も少なくないのです。
しかし、それは、視聴者を騙していると言うのではなく、プライベートの態度が
彼らの本当の姿なのです。

その為、余りにも有名になって、一日の殆どを借りの姿で居なければならなくなると
心身ともに苦しむ事と成るのです。
この著名人と同じような生活を多くの日本人が行っているとも言えるのです。
社会的に認められる態度や言葉を身に付け、一日中、自分では無い人格を演じる事に
疲れている日本人がとても多くなっているのです。
もし、少しでも、社会的に認められないとする態度や言動を取れば、途端に制裁を受け
多くの人達は、自分自身の考えや行動をとる時、常に、社会の目を気にしなければならず
必要以上に態度や言葉が不自然と成っている事が多いのです。

最近の若者達の言葉には二種類あり、社会的にトラブルを起こさない為めの、やたらと
丁寧で、不自然な言い回しをする場合と、若者同士にしか通じない様な、造語によって
感情をさらけ出そうとするものです。
毎年次々に生まれる、新たなる若者言葉は、大人たちが理解できない若者達だけに
通じる事に依り、社会的な規制を逃れ、感情のはけ口を作っていると言えるのです。

しかしながら、それとて、社会に出て働く様に成ると、利益を得る為に、常に、周囲の
他人達に不快感を与えない様気を配り、必要以上に丁寧に成ったりするのです。
所が、言葉が誰にでも当てはまる丁寧さを使おうとする余り、不自然で自分の意思が
正しく伝わらない事も多く、若者達が心から気持ちを共有できる仲間が出来辛かったり
異性との交流が難しく成ったりと、対人的なトラブルが増えているのです。
例え、SNSで繋がったとしても、お互いに言葉を発し態度で自分の思いを示そうとすると
中々自分の気持ちが伝えられず、ありきたりの態度しか取れず、思いが伝わらない事で
辛い思いをしている若者は多くいます。

小さい頃から、学校成績や大人への優秀な態度を求め続けられて来た結果、心の中の
個人的な部分を出す術を持たず、常に、誰にでも好まれようとする態度が、逆に
多くの人を自分から遠ざける原因と成っている事に気が付いていません。
特に、若者達は、男女共に恋愛関係を成立させるのが昔し以上におっくうであり
様々な知識やノウハウを知っている反面、目の前の人の心が読めず苦しみます。
誰もが、本当の気持ちを知り、本当の自分をさらけ出したいと思っているのに
口から出る言葉は、誰にでも好まれる言葉であり、態度は、ハウツーでしかありません。

人は、誰かを好きに成る時、その人が他の人と違う魅力がある事で魅かれるのです
唯一無二であるから、自分の恋人にしたり、伴侶にしたりするのです。
しかしながら、本心が解らず、社会的なハウツーの関係では、個人的魅力は感じられず
中々男女の仲は発展しないのです。
その為、多くの人の基準は、社会的な地位や財産と言ったものと成ってしまい、殆どの人が
当てはまらない事から、中々男女の仲が近づかなくなっていると言えるのです。

子供達も大人の異性に対する希望も、人格以上に社会的地位や財産が優先し、自分の欲望が
満たされる環境を求めがちです。
しかし、たとえ、叶えられたとしても、他人よりも社会的価値が劣ってくれば、人としての
関わり合いは次第に希薄と成り、人間同士の成長には繋がらないのです。
誰もが、本当の自分を認められたいと思いつつも、世の中の求めるものが自分とは程遠い事に
諦めと憤りを感じてしまうのです。
例え自由平等の社会と言われても、実際は、差別と格差の社会が現実なのです。
人の価値が社会的な地位や財産で決められる現実の社会は、多くの人々の心に強いプレッシャーを
感じさせる事と成っているのです。

私たち日本人は、太古の昔から自然に抱かれて育ってきました。四季折々の自然の移り変りに
心から感動を覚え、そこに人間には及びもしない神の存在すら感じて来ました。
その為、生きとし生けるものに対して、日本人は敬意を払い、同じ生きる物として
尊敬の念をもって自然と対峙してきました。
この思いは、当然日本人同士の関わり合いに於いても同じような態度が働いて
お互いに相手の事を常に考え、尊重する生活が当たり前と成っていたのです。
日本人の心の中には、自然と人間に対する豊かな感情が在り、自然に生かされ
人に生かされると言う日本人独特の感性が生れたのです。

しかしながら、明治の文明開化の頃から、西洋文明が日本に入って来ると
日本人の価値観が、経済的価値に置き代えられていったのです。
確かに、生活は豊かに便利に成ったのですが、日本人の心は、心の豊かさや
大自然への敬意から、社会的な価値や地位に変えられてしまったのです。
欧米社会の豊かさに近づくにつれ、生活の華やかさも有って、多くの人が
経済的に豊かに成る事が幸せであると思い込んでいったのです。

しかしながら、日本人のDNAに刻まれた、太古の昔から育てられて来た
人や自然に対する繊細な心は、外見的な価値に心から満足できないのです。
何故、どれ程経済的豊かに成っても、心が満足できない日本人が多いか
これが、欧米で有れば、手放しで喜ぶことなのに、日本人は、いつまで経っても
一向に心が満たされず、常に不安な気持ちから逃れられないのです。

日本人の多くが、経済社会に付いて行けず、生活破綻して行く現実は
単に、社会が不況と成ったと言うだけでなく、日本人のメンタルが満たされず
生き甲斐を失ってしまった日本人が多いと言えるのです。
所が、この日本社会を動かしている多くの方が、この経済生にこそ幸せを
感じている人達が多く、国民の心の奥に潜む苦しみが解らないのです。

どんなに地位が高く成っても、自分の欲望しか考えられず、地位を利用し
更なる利益を得ようとして画策している高額所得者が多く、政治家など
メディアの表舞台に出て来る人達の中で、マスコミに叩かれ、つまらない
下手な言い訳をしている方がいかに多い事か、国民が、何年何十年経っても
一向に幸せに成れないわけです。

とは言え、心からの思いを発する事が出来ない若者達が可哀想と言えます。
難解なクイズの答えを言える者は多くとも、単純な、人の心の機微が
解らない若者は、人々の外見でしか人の価値が判断できず、いつまでも
自分の本当の思いに気が付きません。
解らない故に、必要以上におく病と成るものの、ひとたび地位が高く成ると
突然態度が我儘に成り様々なハラスメントを生んでいるのも現代社会の
特徴とも言えます。

人に対しても自然に対しても素直になれる日本人と成った時、
私達は、本当の幸せを感じる事が出来るのです。
観光シーズンとも成ると多くの人達が日本中の観光地にでかけます。
美しい自然と向かい合い、自然に対する自らの素直な感動を噛みしめ
日本人としての喜びを感じているのです。

多くの美しい自然を破壊し、国民生活を外見的な価値を求める様にした
経済社会を推し進めて来た人達の罪は大きいと言えます。
自分達の利益の為に、美しい日本の自然と国民を傷つけたのです。
しかし、今もなお、この国民を苦しめる社会を改める気持ちは無く
更なる利益を目論んでいる限り、日本人が本当に幸せに成る日は
決して来ないと言えるのです。

 

 



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