めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本が最貧国となる日

2017-11-04 14:05:54 | 日本人

先月の台風が遠い過去の様に思える、ようやく秋らしい穏やかな日々が
続いています。
目黒河畔の桜の葉が次第に色づき始め、川面を伝ってくるややひんやりとした風が
次の季節を感じさせます。
今年の夏は、全般的に雨が多く、連続降雨記録となった所も多かったのですが、
今になってようやく季節を感じさせる日々と成りました。

夏を乗り越え、秋になると、いつもながら、我が身を振り返り、思い出に
ふけったりと、スポーツの秋とも言われるものの、心を感じる季節とも言えます。
とは言え、やはり、人間も生き物であり、限られた命が残り少なくなって来ると
若い頃には感じられなかった様々な感情を抱くものです。

仕事に追われている頃は、働く事で頭の中が精一杯であり、時たまある休みも
単に身体の休養と心の憂さを晴らす為が殆どで、翌日から始まる仕事への準備に
過ぎませんでした。
人生の半分以上を過ごして、更には、全盛期ほど仕事に追われなくなって来ると
自分自身の心の移り変わりだけでなく、周囲の環境の変化や動向に対しても、
過敏に身体が反応する様になりました。

特に、それまで、何とも思わなかった日常的な品々や家族の動向に対しても、
過敏に反応する様になって来ました。
歳を重ねれば、動作もゆっくりと成り、傍目には心も温和に成って行くものと
思われますが、実際は、若い頃よりも遥かに過敏に反応しているのです。

ただ、心で感じていても身体が素早く反応していないだけであり、若い頃と同じ
運動機能が有れば、若者よりも遥かに活発な日々を送っていると思われます。
とは言え、この過敏な反応は、良い事も悪い事も有り、特に、ストレスに対し簡単に
傷ついたり心が萎えたりしてしまうのです。

また、対人的な関係に於いて、高齢者となると、ほんの些細な事で深く傷つき、
中には周りからの刺激に、頑なに堅く心を閉ざしてしまう人もいます。
歳を重ねると性格が穏やかになると言うのは、極めて外見的な印象であり、
多くの方が心の思いを外に出す力を失っているからそのように見えるだけなのです。

子供たちが、周囲からの刺激に対して敏感に反応する様に、高齢者となると、
常に周囲の環境を観察している事も有って、心は敏感に反応しているのです。
歳をとって来ると、身体と共に心も鈍くなっていると解釈する方が多くいますが
周りの人と同じような心持ちである人が多い事を知って欲しいものです。

つまり、高齢者の望む事は、若い人が望む事と何だ変わらず、身体の衰えも有って
それを具体的に表現する力が無いだけなのです。
人は、死ぬまで、生きている意味を考え、生きている価値を考えているのです。
若者が悩む事と同じ事を悩み苦しんでいるのです。
何のために働いているのか、自分の存在価値や存在意味を若者達が考える様に
高齢者も、生きている意味を常に考えているのです。

そんな思いの中で、一番心に深く存在する思いは、自分自身がこの世に居る生きている
意味、すなわち生き甲斐を求めているのです。
ただでさえ第一線を退き、社会から離脱してしまったかのように思われる事に悲しみ
責任ある仕事を与えられなくなる事の寂しさを感じているのです。
身の回りの事が思い通りできなくなることで、若い人達や家人に助けてもらう事は
嬉しい事でも有るのですが、自分自身が行える事が減って行く寂しさも有るのです。

人は、この世に生きている意味として、何か自分が誰かの役に立っていると言う事に
拘ります。何不自由なく生きられるとしても、自分が生きている事で、誰かが喜び
助けられていると思うと、例え老骨に鞭打っても頑張って生きて行こうと思うのです。
この事は、決して高齢者に当てはまる事ではなく、現役で働いている人たちに於いても
同じ価値観として感じられる事と言えます。

日本は既に高度成長期の様な国民の力は無く、高齢者問題で苦しむ借金王国と言えます。
経済的な進歩が頭打ちとなり、人だけでなく、あらゆる人工物も老朽化しています。
高度成長期に多く作られた建築物は、耐用年数を過ぎ、建て替えるか大幅な修理が
必要と成っています。
増え続ける高齢者に対する支出と共に、老朽化する日本社会にも莫大なる予算が必要で
これからの日本を背負って行かなければならない若者達は、益々苦しい生活を
強いられると言えるのです。

資源も食料も他国からの輸入に頼らないと生きて行けない国の未来は、まずは
人間として生きて行けるだけの食料確保が優先です。
経済的に豊かでなくとも、食べて行けさえすれば、、何とか生きて行けるのです。
この場合大切なのは、共同生活が出来なければ、食料を平等に得られる事が
難しいのです。

現代社会は、食料も資源も、一部の人達が独占している状態です。

頑張って地位と財産を得たのだから何の問題も無いと言われる方も居るのですが、
私達が生きる地球環境は、誰もが共存して生きているのです。
欲望に任せて、環境破壊をした結果、世界中の人々が苦しむようになったのです。

異常気象も、原因は明らかに人間であり、身勝手な経済社会を築きあげた結果

人も生き物達も苦しむ環境と成って来たのです。
つまり、例え、豊かな生活をしているからと言って、人間が生きて行く環境を
なおざりにして良いというものでなく、破壊された環境を元に戻す力が有るのも
豊かな生活を勝ち得た人たちの義務ともいえるのです。

人に対しても地球環境に対しても害を与えた経済発展は、見直されるべきなのです。

市民レベルの環境復活運動ではとても対処できない状態にある事を解っていないと
近い将来、私達人類の末路がやって来るかも知れないのです。
地球全体が生き物にとって過酷な環境となると言う事は、そこに住む人間すべてに
責任が有るのです。

私たち人類は、全ての問題を自分達で解決して進化してきました。

しかしながら、文明が発達し経済社会となるにつれて、一部の人達の欲望が
地球環境を破壊し、更には、多くの人々や自然を傷つける事と成ったのです。
欲望に任せて財を成し地位を得た人達が思うがままに作り替えて行った社会が
今や難問山積の人々や生き物たちを苦しめる地球としてしまったのです。

この事実をしっかりと認識して、如何に、この破壊された地球環境を元の様に

復活させていけるかが、私たち人間に科せられた使命と言えます。
あらゆる産業が、自然と人間にとって有益となる方向に変えられるかが
人類が長く反映できるカギともいえるのです。

今のままでは、確実に、近い将来、地球に住む生き物は、地獄を見る事と成るのです。

昨今、増えている超大型台風が、数十年もすると、一年中襲ってくると言われています。
日本は、亜熱帯化し、現在採れている作物はほとんど採れなくなる可能性が有ると言われ
更には、世界の半分以上は砂漠化するとも言われています。

この事は、決して映画の世界ではなく、極めて現実的な事として科学者は警鐘しています。

最近、日本に於けるお米の産地が東北地方から北海道に移って行く傾向が見られます。
また、年間平均気温が数度上がると、日本中の野菜が採れなくなると言われています。
ちょうど、今の沖縄の状態が全国の平均気温と成るのです。

日本は、ただでさえ農林水産物が不足していて、常に需要の半分以上を輸入しないと

食が満たされない状態です。
将来もっと採れなくなったらさらに輸入をすればと言うのはとても甘い考えであり、
今や、世界は、食糧難の時代に成って来て、近い将来、食糧輸出国が激減すると
学者たちは警告しています。
この時一番困る国は、日本の様に、食料の多くを世界中から輸入しなければならない
食料自給率が低い国です。
つまり、資源も無い、食料も無い最貧国へ最も近い先進国は日本なのです。

その惨憺たる未来の日本は、お隣の国、そう北朝鮮の現実に見られるのです。

核ミサイルを持って世界を脅してまでしなければならない程、食料と資源が不足して
いるのです。
日本にミサイルを向ける酷い国と思いがちですが、同じ様な国に成ってしまうかも
知れない程、日本は今や危機的な状態に向かっているのです。

高齢者問題や経済的な問題で悩んでいる処ではない過酷な世界が来るかもしれないのです。

日本は、見てくれの先進国家であって、台所は火の車と言うのが現実であるのです。
一番の問題は、この事実に目を背ける政治家たちとその実態を知らない国民です。
飽食日本と言われ、食品ロスが問題となっているからと言って、決して日本は
食料が有り余っている国でない事を知らなければならないのです。

政治家も国民も、つま先立ちで経済大国を維持しようとしていますが、ほんのちょっと

社会の基盤が揺れただけで総倒れになる可能性の有るのが日本なのです。
まずは、国民全体が足の裏をしっかりと大地に付けた生活に戻る事であり、
日本が置かれている現状を国民にしっかりと開示して、政治家も企業家も
国民全てが同じ土俵で日本の将来を考える必要が有るのです。
生きる術を全て失う前に、日本人と日本国土を守るために、本当の幸せとは
何なのかを考える時期ではないかと思われます。




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