めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

対人関係の大切さを学ばなくなった日本人

2018-09-27 12:52:27 | 日本人

勝ち組、負け組とは、まるで戦国時代の戦いの最中の日本の様で
民主主義国家と言われる現代日本に於いては、余り、好ましい
考え方とは言えません。
今や、世の中は、より経済的に豊かに成った者が支配できる
地位や財産名誉を勝ち得た者は、自分より下と見なした者に対しては
何でも我儘が言える時代と成ってしまいました。
人としての優しさや思いやりは、いつの間にかに消え失せ、ただ外見的な
豊かさをもって人の価値とする考えが、世の中全体をギスギスとした
息苦しいものに変えています。

どんなに正しい事を訴えようと、社会的な力をもってねじ伏せる事は
当たり前であり、力を持つものが正義であるかのような社会になっています。
民主主義とか自由平等というのは、いつの間にかに死語となってしまい
世の中は、格差差別によるクラス分けが行われ、常に、社会的に優位と成った
豊かな生活を有する人達が、より豊かに成る様に作れれています。

日々の暮らしにあくせくする多くの庶民は、与えられた、常に消費を促される
生き辛い社会で必至に耐えて行くしか有りません。
表向き華やかな都会は、大金持ちの敷地を散策している様なもので、全ては
自分とは無縁であり、そこで楽しむには、常に、浪費するようい仕向けられ
豊かな暮らしをしている様な錯覚を抱かされています。

国民は、国に守られ、幸せな生活をする権利があるのですが、多くの人は
一部の豊かな人達の生活を守る為に働かされているのです。
先進国の豊かな暮らしを満喫している様で、実際は、日々の暮らしに苦しみ
将来を危惧しながら生きて行かなければ成らない国民は、刹那的な喜びは得ても
未来へ続く安心安全を感じる事は有りません。

この国を支配している人達は、自分達の未来を心配しなくていい人達です。
それなりに不安はあるとはいえ、多くの国民に比べれれば、他愛もない事です。
怪我を仕様が病気に成ろうが、案ずる事の無い生活を手に入れている人達が
病気すら出来ないと必死に働いている人達の気持ちが解る訳ないのです。

例え、国民の代表と言われる政治家と言え、誰もが、国民の為に身を削って
政治を行っているかと言えば、多くの場合、NO!と言わざるを得ません。
素晴らしい弁舌を行えても、それは客観的知識であり、ただ政治家の仕事の
ノルマを果たしているだけであり、自分の為の仕事である方が多すぎます。

選挙の時だけ国民に向かい合い、歯が浮く様な甘い言葉で煙に巻いたとて、
国民生活が現実に良くならなければ、彼らは政治家として無能と言えるのです。
いまや、国を代表する人達の能力は己のパフォーマンスに向けられ、政治家
というより政治屋と言う自分達の利益追求の為の政治が目立ちます。

国民から吸い上げた血税は、ほんとうに国民が一生懸命働いて、何とか提供した
汗の結晶であるという意識は程遠く、その税金で自分達の給料が上がる事しか
興味が有りません。
命を懸けて国民の為に政治を行うと言った政治家は数知れずいましたが、
いずれも、口だけのパフォーマンスであり、誰一人、言葉通りの仕事をした人は
記憶に有りません。それ以上に、彼らの怠慢と保身が目立つばかりでした。
国民は、見てくれの豊かさでは本当に満足は出来ず、まして、幸せに成る
というのは程遠い事なのです。

民主主義古国家というのは程遠く、民主主義の衣をまとった経済的独裁国家と
言うのが正しいと言えます。
日本人が世界中に誇れる豊かな人間関係がいつの間にかに常に己の利益しか
考えられない守銭奴の様な国民が増えた事は、国民が悪いのではなく
その様な社会に子供のころから仕向けた、自分の利益しか考えられない政治家と
日本をリードする人達の欲望の結果なのです。
未来を築き、日本を担っていくべき若者達を、自分達の社会的地位を保つための
道具に使うよう教育して来た事が、日本社会全体を殺伐としたものに変えたのです。

ビジネスは厳しいもので、他人の事を構っていては生きてはいけないと叫ぶ人もいますが
その結果どんなに豊かな暮らしを手に入れようと、人間関係を損ねていては、いずれ
誰かに裏切られるか、寝首をかき切られる事になりかねません。
豊かな生活を手に入れれば入れる程、他人が信じられなくなる傾向が有ります。
それは、豊かな生活が自分だけの豊かさに偏ってしまい、自分の豊かさの陰で、
多くの人の苦しみと涙が有る事を知らないからです。

幸せとは、自分が幸せと感じる時は、自分の周囲の人達も同じく幸せに感じなければ
意味はが無いのです。
多くの日本人が、個人的な幸せを目的として、いつまで経っても心安らがない人生を
送らざるを得なくなっています。
どんなに豊かな暮らしをしても、自分の財産や家族のセキュリティを考えないと
安心して生きていけない人が多いのです。

日本の昔の家屋は、普段から鍵を掛けないでいる家庭が普通でした。
今でも、田舎に行くと、寝る時以外は、鍵を開けたままの民家は多く見られます。
近所の人が勝手に家に入って来て、何かを借りて行く事も珍しく無く、地域の人を
心から信頼しているからこそ、何の不安も無く、家も心も開け放っていたのです。
今の時代、特に都会に於いては、その様な事は絶対に考えられないのですが、
日本人の心は、それ程にも、他人に対して信頼を寄せ、思いやりをもって
生きていたのです。

今や、何でも手に入り、他人と協力しなくても生きていける時代に成りました。
しかも、社会的に地位が有れば、それだけで見ず知らずの人に対しても我儘ができ
経済的に豊かであれば、何でも思い通りに出来る様に成ったのです。
他人と関わる煩わしさも無く、欲しいものが手に入る事は、相手の思いを考える
必要もなく、自分の欲望だけを満たせるのです。
しかし、この事は、人間関係に於いて多大なる迷惑やストレスを与える事になり
その結果、良い思いをしている人に対して、様々な報復が行われるのです。
世界中で頻発する内戦の原因も、一方的な利益の搾取である事が非常に多いのです。

日本人は、お互いに、相手の事を思いやる事で、お互いの幸せを考える民族でした。
それが、いつの間にか、経済的に豊かな国になった途端、自分の欲望のみを求める
我儘な民族になってしまったのです。
マスコミも、自己主張できる人を優秀と決め、心の叫びを上手く言い表す事が出来ない
傷ついても声を上げられない人達を抹殺してしまいました。
日本中に、テレビタレントの様に、自分の欲望を主張する人を良しとする社会を生み
経済的力だけでなく、人々を押さえつける力を持つ人を社会の前面に押し出し
少しでも、社会的に地位が有る経済的に豊かな人を正義とする社会を作ったのです。

この事は、自己主張をし、自分の欲望を通した者が人々を支配できるとする、
独裁社会を創り上げる原因ともなっているのです。
まるで相撲社会の様に、番付が一つ上がれば、全ての環境が変わる様に、少しでも
経済的に豊かに成り社会的地位を成せば、下の者や周囲の人達に、気を遣うことなく
我儘が出来ると言う風潮を世の中に広める事になったのです。
しかしながら、この縦社会が世の中の基準となって来ると、まるで下克上の様に
人間関係は簡単に主従が入れ替わり、如何に自分が上に立つかの争いは
対人関係を、殺伐としたものに変えてしまうのです。

人の価値を、経済的価値社会的価値に変えた途端、人間関係は地に落ち、
思いやりも気遣いも消えてしまいます。

お互いに相手の欠点を見つけ足を引っ張り合う人生は、いつも心安らぐことは無く
自らも、自分の価値を経済的価値としてしまい、自分自身の人間的成長を失って
対人的に益々孤立する事と成るのです。
豊かな暮らしをしているのに、心の底から許し合える人がいないと言う人が多いのも
現代社会の特徴でも有るのです。

日本人は、経済的に豊かになったものの、多くの人が、孤立する事になったのです。
どんなに豊かな生活をしても、自らの心を認めて信じてくれる人がいなくなったら、
自分の価値は、持っている経済的価値でしか有りません。
つまり、人としての価値は無いと言う事です。外見的な豊かさを取り除いたら
誰も寄り付かないと言う現実がとても多いのです。

私達は、何をもって幸せとしたらいいのでしょう。
その答えを経済的豊かさとした事が、日本人を不幸にしてしまった原因と言えます。
今や、自分の主張や欲望を語る日本人は多くいますが、他人の気持ちを感じられる
豊かな心の持ち主が激減しています。機有らば、相手を倒したい、他人よりも秀でたい
といつも目をぎらつかせている日本人がとても多く成りました。

自分の夢を見る事将来を語る事はとても良いのですが、その為に、他人を苦しめたり
傷つけたりする事を何とも思わない事が問題なのです。
他人を傷つければ、同じように傷つけられるのが世の中です。
人は、キャッチボールをする様に、相手から与えられた感情を投げ返します。
自分の夢を果たそうとする為に他人に嫌な思いをさせれば、同じように報復されるのが
世の中の仕組みとも言えます。

どれだけ他人を幸せに豊かな気持ちにさせる事が出来たか、というのが成功者の条件です。
その為には、自分の思い以上に他人の思いを理解できる力を育てなければ成りません。
現在の学校教育に於いて、もっとも足りない部分であり、より有名校に進学するために
最も削り取られた部分と言えます。

建前だけの道徳教育は何の役にも立ちません。学校だけでなく、家庭内に於いても
生きる為の様々なルールやマナーが教えられていないのが現状なのです。
というより、大人たちがそういった教育を行けて居ない事から、如何に子供を、人間として
立派に育てるかが解らないのが実情です。
学校の先生も塾の先生も、有名校に入れる技は良く知っていても、子供達を人間として
立派に育てる方法を知りません。

つまり、親も、先生も、政治家も企業家も、経済的に豊かに成る術は知っていても、
人を育てる為の方法に疎いのです。自分の欲望を如何に叶えるかと言う事に関しては
天才的能力を持っていても、個人的な人としての能力を育てる事には無能と言えるのです。
人間の価値を、より豊かな生活が出来ると言う事に於いている限り、人々は永久に
幸せに成る事は出来ず、常に不安が付きまとう人生を送らなければ成らないのです。

 

 



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