めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

大金持ちに成っても、日本人は幸せに成らない

2018-03-31 18:50:28 | 日本人

経済的に豊かな暮らしが出来るようになると、自分の望む物が簡単に手に入ります。
世の中には、魅力的な物が溢れていて、お金さえ出せば、何でも好きな物を
ゲットしたり食べたりすることが出来ます。
その為、日本の様に経済大国と言われる国々の人々の身の回りは、便利で豊かな物に溢れ
幸せな生活が送れるのです。
次から次に新しい物を手に入れる事で、楽しい毎日が送れると言えます。
つまり、消費経済国家で生活すれば、所得に応じて、より豊かで幸せな生活が送れる
と言う事に成ります。

日本は、世界でもトップクラスの経済大国です。
全ての国民が、幸せに溢れた生活が出来ているはずです。
所が、国民の幸せ度数を調べると、トップクラスというどころか、発展途上国よりも
劣っているとする調査結果も有ります。
現実に、日本で生きる事に苦慮している日本人の数はとても多く、経済的に豊かな国といえ
本当は、それ程豊かな国ではない事が解ります。


しかし、何故、これ程にも物が溢れているのに、日本人は幸せに成れないのでしょう。
確かに、いまだ、経済成長が芳しく無く、人々の生活は決して楽とは言えません。
とはいっても、多くの発展途上国に比べれば、衣食住すべてに於いて優っているとも言え
何故、日本人の心が晴れないのか、数字の上だけでは判断できない事が多い様です。


まず疑ってみなければいけないのは、何でも手に入ると言う事が幸せの条件か、
と言う事であり、欲しい物が簡単に手に入る事は、日本人が幸せに成るには、
マイナスであると考えて見る事が大切です。
何故、欲しい物が手に入る事が幸せでは無いのか、それは、欲しいと言う欲求が
本当に自らの心から生まれた欲求であるかが大切です。


日本人は、テレビを始め、あらゆる情報が毎日耳や目に飛び込んでくる環境に有ります。
すると、時に、自分が思うよりも遥かに魅力的な物を知らされる事が有り、その数が
増えて来ると、自分が選択するより情報に託した方がより満足できたものが手に入ると
考える様に成り、欲しい物の選択権をメディアに委ねる様になってしまいます。


この心理の変化をうまく利用しているのが、資本主義経済であり、消費経済国家と言えます。
人々の欲望を利用して、常に購買意欲を高め、より多くの消費を勧めます。
今や、企業によるコマーシャルがあらゆるメディアの中心であり、人々に、常に、魅力的な
商品や生き方を提案する事で、膨大なる利益を得る事を目的としています。
世の中も、経済的に豊かになる事、より多くの商品を購買消費出来る事を幸せであるとして
人々の生きる目的を、常に、経済力の高さとしているのです。

その為、国民も、幸せは、多くの人々が求める豊かで便利な生活に在ると信じてしまいます。
しかし、この外見的な幸せは、まるでピラミッド構造の様に、頂点に達しなければ幸せとは言えず
どんなに生活力を増しても、満足を得る事は出来ないのです。
幸せの尺度を社会に求めた事、つまり、経済性に求めた事で、豊かな生活を送っていたとしても
必ずしも自分の心は満足する事が出来ず、豊かになったと思っても、世の中を見渡せば、
より豊かな生活をしている人がいる限り、自分は幸せと感じなくなってしまうのです。

経済的な豊かさを求めるあまり、自分自身の心の満足を得ていなかった事に、不幸が生れるのです。
人間の心の満足は、10人十色であり、一人として同じものでは有りません。
自分自身の心をより豊かにする為に、経済的に豊かになると言う手段が有ったのです。
手段を目的と間違えてしまっている日本人が多い為、我が身に振り返って考えるようになった時
何も満足していない心に愕然とするのです。

確かに、メディアは、様々な知識を教えてくれて、より健康で豊かな生活が出来る提案をします。
しかし、それは、必ずしも、個人の幸せを考えてというものでなく、むしろ、企業側の増収の為の
戦略に過ぎないのです。
確実な利益を得る為に、常に、新製品や新たなる提案を行い、消費購買意欲を高めているのです。
テレビに流れる素敵な情報も、1~2年もすれば、何の魅力も無く成ったり、全く価値が無くなるのは
珍しく無く、常に、新たな物に散在する様に仕組まれているのです。

私達消費者は、この資本主義社会を支える役割を担っている事を忘れてはならないのです。
新たなる商品を次々に購入して消費する事で我が国は成り立っているのです。
国の経済を安定させより進歩させるには大切な国民の役割では有るのですが、この消費者の努力は
消費者を幸せにするものでなければならないのです。
売り手である一部の富裕層を豊かにするだけでは、国民は幸せには成らないのです。

問題は、日本の経済の流れが、豊かさを一部の人に集め、多くの国民に還元されていない事です。
でも、この事を、経済的に国民を豊かにしていないと解釈してはならないのです。
世界の国々を見ても、日本は経済的には遥かに豊かであると言えるのです。
何が一体国民を幸せにしていないのか、それは、日本の経済力が、国民一人一人の欲求に応じた
豊かさと成っていないのです。

多くの商品を買い求め、散財する事を国民の幸せと考える社会構造が、日本人を苦しめるのです。
小さい頃から、経済性を高める為の教育を行い、経済社会を担う為の人材育成をして来たため
国民自体も、何故、経済的に豊かになっても、いつまで経っても幸せを感じられないのか
理解できない状態なのです。
御上の言うがままに頑張って来たのに、高度成長の時も、不況社会となった時も
国民はいつも何かに追い立てられる様に心が落ち着かず、上を見る事しか求められず、
本当の自分の幸せが何なのか解らなくなってしまっているのです。

日本人は、大自然と共に生き生かされて生活をしてきました。
春夏秋冬様々に変化する自然の中で生き、その中で研ぎ澄まされた感性は、
人々の間においても生かされ、日本人独特の人生観を育てる様になりました。
自然の成り行きの様に繊細な日本人の対人的な心は、集団生活に於いて、
常に人々の心を、お互いの気持ちを深く察する事で成長してきました。

しかし、現代社会に於いて、人々の成長は、唯、社会的に豊かな生活をする為だけに限られ
学校教育に於いても、社会に出ても、常に、社会性が自らの価値として自他共に考える事で
いつまで経っても心の中に満たされない気持ちが消えないのです。
高度成長という名の日本破壊活動は、日本中の自然と日本人の心を踏みつぶしてしまったのです。

この人間の心を簡単に踏みにじってしまう社会構造は、人々の気持ちを何の躊躇もせず
引き裂いてしまい、ただ経済的に豊かな人達のみを守る様になってしまったのです。
経済的に豊かな生活をしようと、心が満たされる訳は有りません。
ただ、企業を豊かにする為に、新たなる消費物質に手を出すことしか出来ず、永遠に続く
散財生活が人々を疲弊させていくのです。


大都会に憧れ、多くの若者達が集まります。
一年を通して、いつもお祭りをしている様に華やかな都会は、若者達の心を鷲掴みにします。
しかし、ほどなく彼らは、この華やかさが、決して自分達の心を満足させるものでは無く、
この地で生きて行くには、他人の心の豊かさや優しさを求めてはいけない事を知ります。
常に経済的豊かな者だけが都会の中心となり、多くの人々は、常に心苦しい毎日を送る事に
悩まなければならなくなるのです。

他人を傷つけ苦しめる事を何とも思わなければ、この消費経済国家で生きて行けるのです。
少しでも温情を持てば、簡単に誰かに蹴落とされるのが都会の現実と言えます。
そんな社会で生きる人達の心は、次第に人間不信と成り、最終的には、自らを守るために
銃すら持たざるを得なくなるのです。

アメリカ社会の様に、創立期から、略奪の歴史を重ねてきた国ならいざ知らず、
日本は、何千年も心を育てる事を人々の目的として来た、大自然に常に神を感じて来た国です。
ほんの100年そこそこで、人としての価値を見失って良いのでしょうか。
日本国民が、豊かな生活をしていても、なかなか心が満たされない理由がここに有るのです。
外見的な姿は、欧米的な経済大国であっても、日本人は、決して心を見失ってはならず、
その思いがあるからこそ、春夏秋冬の自然に心を動かせれるのです。

 



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