めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

四季を感じられない日本人のストレス

2018-04-03 14:09:45 | 日本人

ほんの一週間ほど前までは、目の前の目黒河畔は、多くの人で溢れていましたが、
今日は、殆ど観光客らしき人は見られません。
午後に成れば、少しは増えてくるのかも知れませんが、緑の葉がちらほらと顔を出し
ピンクの美しい花弁が落ちてしまった桜を愛でる人は、ほとんど居ません。
次第にいつもの遊歩道に戻って行くのですが、この毎年の様に繰り広げられる
桜狂騒曲は、楽しくも有り儚くも有ります。

まるで、世の中の移り変りの様に、一時華やいだ遊歩道も、踏みつけられた桜の花が
泥にまみれて痛々しいです。
川に流れるピンクの帯も、次第に黒く変色し、殆どの場所で、単に汚れている様にしか
感じられず、人々の関心も無くなってしまいました。
正に、熱しやすく冷めやすいと称される日本人の感覚を表しているかの様な櫻花は
日本の季節の移り変わりと同じく、日本人の姿を見る様です。

自然の四季と共に繊細な心を育てて来た日本人は、四季が有るからこそ、世界に無い
豊かな感性を育てて来た民族と言え、真面目で努力家で心豊かな気質は、文化の発展に
大きな影響を与えて来ました。
様々な文化遺産や生活遺産に見られる豊かな発想と工夫は、自然の中で巧みに
生活して来た日本人の姿が感じられ、その特性は、現代社会に於いても様々な技術を生み
世界をリードする先進国としての役割を果たしています。

しかしながら、近代日本の発展は、必ずしも、日本人の感性に合ったものとは言えず、
日本人のDNAに刻まれた太古からの大自然に対する欲求は満たされる事は有りません。
消費経済国家として、あらゆる物が常に新陳代謝され、メディアも社会も常に新しい
情報の元に更新されている事で、次々に変わって行く魅力に日本人は活発に反応し
より豊かな生活が送れていると思いきや、多くの日本人が、喜ぶよりも、むしろ
疲れ果てていると言った方がよく、新しい物に反応する多感さが、かえって
日本人を疲れさせていると言えます。

日本人は、世界的に経済発展を成功させた国として一目置かれますが
この長足の進歩は、日本人が持っている真面目で努力家と言える気質が
成し得たものであり、季節の移り変わりと共に対応する様に育ってきました。
所が、自分達のセンスを生かすまでも無く、次々に新たなる情報が作られ
考える余地もないままに、自分達の生き方と価値観を決めれれます。
しかも、その価値観はすぐに書き換えられ、国民の一人一人の考えは
世の中の価値観によって決められてしまうのです。

この事は、物事の変化、対人的な関わり、自然の変化と、様々な環境変化に
自分自身の考えを育てながら対応して来た日本人の心を混乱させます。
メディアが伝える事に簡単に従い、自らの消費生活を他人に決められます。
日本人が、常に新しいものに目を向け、新しい物を手に入れたがるのは
消費経済社会の術中にはまっていると言えるのです。

資本主義社会が求める消費経済社会は、豊かで便利で魅力的な社会と
言いながら、何故、日本人は、ストレスを溜めやすいのでしょうか。
その答えは、私達の歴史が、欧米の歴史とは大きく違っていて
地球の資源や食料を利用する事に進歩を求め続けて来た欧米諸国に対し
日本社会は、地球の資源を自然からの送り物として大事に利用し、
更には自分達が、大自然に生かされているとして育って来たのです。

この根本的違いは、同じ資本主義社会と言えど、国民の抱く満足度が
全く違っていて、日本人の幸せは、自然環境の豊かさが有ってこそ
感じられるのです。
現代でこそ、自然と共に生き、地球資源を大切にすることが求められますが
日本人は、昔から、エコな生活を送っていたと言えるのです。
しかしながら、現代日本の環境は、日本人の心を、決して満足させ
癒すものでは有りません。

大自然はことごとく破壊され、地球温暖化と共に、日本人が求める
美しい日本の自然は失われ続けているのです。
日本人を育てて来た海の幸も、公害や乱獲で失われ、足りない分を
海外に求めようも、世界の漁場に於いて日本の立場は、以前の様に
独占的に漁獲を上げる事が出来ず、資源の減少だけででなく
水産物を求める国々の出現で、非常に厳しい状態と成っています。


日本における春夏秋冬、更には、大自然から得られる豊かな資源は
日本人の身体だけでなく心も育てて来たのであり、経済性を高めても
どんなに豊かで便利な生活をしても、心を癒すまでには至らないのです。
日本人の生活環境から自然が失われる事は、日本人の心が失われる事であり
その事が、桜を始め、昔からの自然に強い郷愁を覚え、満たされない心に
経済力だけでは補えない辛さを感じさせるのです。

半世紀以上も日本経済を中心に近代国家を目指してきましたが、
バブルを頂点として、日本人は、何の心の成長も得られず、
景気が後退した後も、満たされない気持ちが続いているのです。
景気が良く成れば、日本人は幸せ異なると考える高度成長期の
古い頭しか持たない政治家が主導権を握っている限り、
ますます、日本人のストレスが溜まり続け、様々な問題が
噴出して来ると言えるのです。

今や、例え、家族であっても、心を許し合える関係を持てない
常に苛立ちしかない寂しい日本人が増えています。
お金さえ手に入れば、幸せに成れると思っていたのに、一向に
満たされない気持ちが心を荒ませます。
普段から関わり合いを持たない生活をする事から、事件が起こっても
近所の人達は全く気が付かない場合が多く、自然だけでなく、
対人関係に於いても疎くなる日本人が増えているのです。

しかし、どんなに豊かな生活をしても、その価値は、自分だけでは
感じられないのが人間の性と言えます。
大都会に在っても、孤立している人が実に多く、利害関係だけの
関わり合いは、人々の人生を重く苦しものとしているのです。
今や、日本人は、生活に苦しむだけでなく、人間関係に苦しみ
未来への不安と孤独に苦しんでいるのです。
人も羨む生活をしていても、日々の孤独に喘ぐ人は少なく有りません。

本当に私たち日本人が幸せに感じるのは、決して、外見だけの豊かさや
経済的な豊かさでは無いのです。
大きな自然の懐で生かされ、その思いを日本人同士の心の持ち方として
日本人独特の豊かな感性を磨いて来たのです。
それ程豊かな日本人の心は、経済的な豊かさや、外見的な豊かさで
満たされる訳が無いのです。
いつの日か、大自然と人間が共存でき、お互いに生かし生かされる時
人類の幸せと共に、日本人の心が満たされると言えるのです。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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