めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本人の心は満たせない

2018-07-03 18:34:07 | 日本人

いつの頃から、日本人は、自信を失い、ただ、他人の事が気に成り、
物事の価値観が他人との比較と成ってしまったのでしょう。
高度成長期、三種の神器と言われる電化製品を競って手に入れた時、
隣の芝生の青が気に成り、隣の車が気に成った頃からでしょうか。
確かに世界に秀でる高度成長を遂げたのですが、日本人の価値観が
自分の持っていない他人の高価なものに成り、社会的に高い地位で有り
有り余る財産の保持と成った事で、個人個人は、ただ、生まれて死ぬまで
消費経済を支えるだけの、物に支配された魂の抜け殻の様です。

バブルで浮かれていた頃ならまだしも、現代は、先進国の豊かな生活とは言え
現実は、日々の生活に苦しむ人が多いのが事実です。
世の中の変動は、私達国民が望む様に行かないのは致し方ないにせよ、
好景気に成ろうが不景気に成ろうが、日本人の心が豊かで幸せと成らないのは
やはり、消費経済に踊らされ、自分の本当に求める生き方が解らなくなっている
としか思えません。

お金さえあれば幸せに成れる、欲しいものが手に入りさえすれば幸せに成ると
考えて居る日本人が実に多く、これでは、高度成長期の日本人と同じであり
物が与えられればそれで満足する、自分が本当に求める物が何なのか、いつまで
経っても解らない人が多いです。

その為、どれだけ欲しいものを手に入れても、有り余る財産を得ても、一向に
落ち着かない満足できない欲求不満だらけの豊かな人が増えているのです。
世界中を旅し、憧れの品物を手に入れ、高級料理に舌鼓を売ったとしても、
憧れの物を手にし食べたと言う達成感はあっても、その事で、深い満足を得る
と言う訳ではなく、さらにもっと有名な珍しい高価な物はないかと、一年中
物色している様な人生を送る人も少なくありません。

こうなると、いつまで経っても、自分の望む者は手に入れられません。
物欲ばかりが先走り、自分も周囲も見えなくなってしまいます。
しかし、手に入れる事が目的なのですから、手に入ればもう興味は無く、
更なる価値を求める人生が続きます。

有り余る資産、地位、名誉、そして世界中から集めた高級品の数々、
自分を取り巻く魅力は、多くの人達にとっては驚くばかりの物です。
所が、そんな人が羨む物が増えれば増える程、人々はその所有者に関心は無く
単に高級品の管理者ぐらいにしか思えません。
つまり、多くの人が価値を感じるものを持っていても、自分に価値を感じてくれる人は
次第に消えて行ってしまうのです。

他人から崇められ羨ましがられる人生を送る事を望んでいたのに、自分自身への価値観は
誰も感じる事無く、身に付けた社会的地位や財産に注目される時、自分の人生が、
求める社会的財産や多く手にいれた高価な品々の奴隷で有った事が解った時、
その寂しさと悲しさは計り知れないと言えるのです。

しかしながら、殆どの日本人は、多かれ少なかれ、この様な消費経済国家に仕組まれた
カラクリの中で生きているのです。
子供のか頃から植え付けられた社会への目的と価値観は、一生、消費経済国家に忠義を尽くし
物欲に委ねた人生を送る事を強いる事となるのです。

私たち日本人は、豊かに成ったとは言え、本当の自分を見失ってしまった人生を送りがちです。
自分の生きる目的も夢も、消費国家に大きく貢献する為の物であり、決して自分の為ではなく
教育でメディアで洗脳された価値観は、何のためらいもなく、高価な消費物質を求め
人々に、その価値観を示す広告塔の役割を果たすのです。

人にとって大切な絆は、家族の間でも友人仲間に於いても、社会的な価値で示すものではなく
お互いの信頼関係と深い思いやりに基づくものです。
その価値観は、一人一人の心に有り、一生を通じて豊かで幸せな人生を約束します。

この人と人との関わり合いは、世の中の変動で変わるものでは有りません。
つまり、普遍の価値観である事から、人々の心に幸せと潤いを感じさせるのです。
常に変動する価値観、社会的な価値観は、その事で多くの利益を目論む人達の儲ける為の
手段と言えます。常に、消費に興味を抱かせ、より多くの商品を消費させる事に依って
経済社会が成り立っていると言えるのです。

経済的に豊かに成ると言う事は、生活が便利で豊かに成り、多くの欲望を達成できると言えます。
しかし、常に変動する価値観は、人間の心を落ち着かせ平穏にするものではなく、常に
不安を抱かせより大きな消費を促す事と成ります。
この事は、この人々の不安によって巨大なマーケットを維持し、より膨大なる利益を得るとする
個人的な欲望達成に過ぎません。

便利で豊かな生活を獲得しても、本当に幸せを噛みしめる事が出来ない理由がここに有りませす。
家族にも友の間にも、お互いの価値観が社会的な物で有った時、本当に自分に思いを抱く人が
身の回りにいない事を実感し、大きな挫折を感じるのです。
多くの日本国民が、目先の欲望を達成し、新たなる魅力の罠に落ちているのです。

日本人は、というより、日本の自然、そしてそこに生きる人々が太古の昔から求めていたのは
誰もが美しい大自然に涙し尊厳を感じる事に幸せを感じた事でした。
地球の営みの様な雄大さと人として生きると言う喜びを感じて来たのです。
それは、人間が創り出す目先の欲望ではとても叶えられないほど雄大で心豊かなものなのです。

戦後、そんな日本の宝を失い絆を失った事に依って日本人は不幸と成ってしまったのです。
バブルで社会経済が沸騰しても、不景気で冷え切っても、日本人の心は欲求不満なのです。
暗褐色に濁った都会の前の海に、豊かな自然は有りません。
その奥にそそり立つまるで巨大な墓石の様な大都会のビル群では、到底人々の心は癒せず
欲望の為に生み出した消費経済の為の商品では、誰の心も満たされないのです。

作られた自然、欲望の為に生まれた大都会、如何に豊かであったとしても、日本人の心を
本当に癒せるものではないのです。
日本人は、いつまで、この偽物で満足させられて行くのでしょう。
日本人の心を本当に幸せにさせる事が出来る物は、人々の心の奥底に隠れた大自然との
心からの触れ合いであり、日本人同士の心の繋がりである事は言うまでも有りません








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