めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

不安ばかり助長する日本社会

2018-09-25 12:59:21 | 日本人

今や都会の至る所で、巨大なビルが建てられていて
まるで高度成長期の時の様な建設ラッシュです。
来るべき東京オリンピックに向けて、様々な施設が作られ
街の景色も大幅に変わって来ました。
現実的に、各種企業の業績は右肩上がりと成っていて、
日本経済が、着実に成長しているのが伺えます。
世界中の投資家が日本にお金を注ぎ、今や、高度成長期の様に
ビッグマネーが日本に集まっています。

しかしながら、この著しい発展が、かつての高度成長期と違うのは
日本人多くが、この恩恵を受けていないと言う事です。
巨大プロジェクトを行う様な主要産業や大手企業の業績は
甚だしいものの、中小企業や一般の国民には、お金が流れて来ず
多くの人々が、豊かさを実感できないのです。
国民は、ただ、消費を促されるだけで、消費をする為の個人資金が
一向に増えて来ないのです。

そう、現在の繁栄は、日本国民の、経済的に豊かな人達の豊かさであり
国民の多くは、その恩恵に預かれないのが実情です。
金融緩和による企業優遇処置は、豊かな人達を潤しているものの
一般消費者には、殆ど感じられない、一部の人だけが潤う処置に過ぎません。
この事は、国全体の経済力を増しているとはいえ、多くの国民にとっては
何の恩恵とも成らず、豊かな人々が提供した、様々な消費システムを使う事で
益々、生活が苦しくなっているのが現実です。

給料が上がらないのに、支払いばかりが増えると言うのが、一般庶民の
最大の悩みであり、多くの国民が、生活が豊かに成らないとする理由です。
所得が多い少ないにかかわらず、生活する為の保障が一生守られている
と言うのが、本当の福祉国家であり、豊かな生活を送れる条件なのです。

日本政府の方針は、人々の生活を支援するとしても、保証する事は無く
多くの国民は、自分の生活は、全て自分で守らなければならず、
少ない給料や未来を保証されない生活に、常に不安を抱いているのです。
もしもの時の為に財を蓄える事が自分の命と生活を守る最大の目的と成り
国民全てが、消費を抑える傾向に有るのです。

この事は、豊かな生活をしている人達にしても、かつてのバブル崩壊や
リーマンショックの苦い経験からも、出費をしなと言う事を仕事の
第一と考え、企業に於いて、膨大なる利益を得ているにもかかわらず、
それを、一般庶民に還元する事無く、資産を蓄える事を優先しているのです。
世の中が豊かに成る為には、お金は全ての国民に流れて行く事が重要で
高度成長期は、お金の流れがスムーズであったことから、日本国民全体が
潤っていたと言えるのです。

しかしながら、現代社会は、一向にお金が一般庶民に流れず、
経済的に豊かな人達の所で止まっている事が問題です。
今や、豊かな人達はより豊かに、貧しい人達は貧しくと言う
社会の在り方としては、極めて変則的で、不平等となっているのです。
バブルで多くの資産を失った大企業や中核企業の業績は大幅に
上ったにせよ、彼らの間でお金の流れが滞っている事から、
一般庶民の生活は、相変らず豊かに成らないのです。

日本社会を支える大手企業に対する優遇措置は、街に見られる
巨大建築物の増加に見られる様に、功を奏しているのですが、
その周囲に蠢く、多くの庶民たちには、更なる消費の場を
提供されるだけで、個人的に幸せに成るとは言えないのです。

低額所得者であったり、高齢者であったりと、所謂、弱者に対する
優遇措置が非常に遅れていて、国民の多くが、日々苦しい生活を
強いられているのです。
特に、高齢者の合言葉は、ぴんぴんころり、という死ぬ瞬間まで元気で
寝たきりに成らないで直ぐに死ぬと言うものです。
これは、正に、健康に生きる意味が、個人的な生きがいと言うよりも、
病気をしないでいる事で、無駄な出費をしたくないと言う事なのです。

闘病生活を送れば、自分だけでなく周囲に大きな負担を掛ける事を
心配しているのであって、如何に、誰もが、経済的な不安から
死ぬまで逃れられないのが現実なのです。
歳を重ねても、健康でいたいと言う願いは、個人的な願いである一方
社会保障制度が日本社会では期待できない事を示しているのです。
少しでも金銭的余裕をもって老後を送らなければ、現代の日本社会では
苦しい人生を送らなければ成らないのです。

高齢者は、いつまでも健康でいて、素晴らしい家族に囲まれていたい
と思うよりも、経済的負担を如何に無くすかと言う事に主眼がもたれ
何をするにも、日常生活全てが、お金に支配されていると言っても良く
悠々自適といった、自分の事だけを考えて自由気ままに生きている高齢者は
経済的豊かな層にしか無く、殆どの日本の高齢者は、如何に健康である事が
出費を抑える事になるかが解っているからこそ、ぴんぴんころりを
求めるのです。

人は、様々な個性の元、幾多の目的をもって生きて行くものです。
その目的に対して、膨大なる資金が必要である事も有りますが、ほんの
必要最小限度のお金で済む事も有り、達成した時の満足度も、人其々
と成るのです。
国民一人一人が満足した人生を送れるには、様々なな目的を達成する為に
生き物として生きていく為の、基本的人権が守られた、経済的心配のない
生活が送れる事が大切です。

その生活を提供するするのが国家であり、その為に、膨大なる税金を
国民から吸い上げているのです。
しかしながら、その税金を還元する方向が、一部の人達だけを優先する
事に依り、多くの国民が不安な人生を辿らなくてはならない原因と
なっているのです。

自由平等の社会に於いて、国民は平等に豊かな生活を送れる権利が有ります。
一部の人達だけが優遇されている事が、一番日本社会を不安にしているのです。
このまま格差社会が続けば、当然、多くの人達の不満が募り、国内における
争いが多くなるのです。
今でさえ、多くの高額所得者達は、自分達の身を守る為にセキュリティを
一層強化し、自分達のプールした資金を流出させない様にしています。

社会は、豊かな人をより豊かに貧しい人を更なる貧しさに、と言う方向に
進んでいると言わざるを得ません。
様々な巨大施設を作ろうも、それを利用できる人は限られ、そこに投資される
膨大なる資金は、そのまま豊かな人達の懐に収まると言う構図は、現代の
日本社会を象徴するものであり、国民が、益々、二分化される事で、
人間として豊かな心を持った日本人が、次第に、経済的な尺度でしか
人を見る事の出来ない、アメリカ社会の様になってしまうかの様な
不安を呼んでいるのです。

私達の世代は、この差別社会の始まりが日本国民を苦しめる程度であったのが、
近い将来は、日本人同士がお互いを信じられず、欲望だけを目的とした
自分を守る事を先決にする、銃社会が生れる可能性が心配されます。

いまや、豊かな人達は、同じような人達と新た有る社会を作り、一般の人と
住み分けをする時代となっています。
子供達の教育も、大人に成るまで、全く違った環境で教育されるのは当たり前で
様々な環境の子供達が一緒に勉強する時代は終わったと言えるのです。

沖縄がアメリカの軍事基地と成っても、見て見ぬふりをしている様に、
今の政府や富裕層は、日本人が、二極化してしまっても、自分たちの生活が
守られれば、何の手立ても行わず、消費者は永遠の消費者と成る政治を
今後も行い続けるのです。

頑張れば豊かな幸せな生活が出来ると言うのは過去の話であり、極端に言えば
貧しい家庭に生まれれば一生、働いただけ消費する生活から逃れられず、
豊かな家庭に生まれれば、何もしなくても、一生自分の好きな事が出来る
と言うのがこれからの日本社会と言えるのです。

かつて、勝ち組負け組、と言うのが有って、経済的に豊かな層に如何になるか
が若者達の目的でも有ったのですが、これからは、戦う前に、自分が如何なる
環境に居るかで将来が決まる時代と成って来るのです。
かつては、豊かな人達は、努力する人達に大きく門戸を開いていたのですが
近年、豊かな人達は、豊かな社会の人達から人材を集める傾向が有るのです。

つまり、どんなに頑張っても、貧乏人は、富裕層に成れないのです。
もし、豊かな生活をするとしたら、自分の環境の中で、豊かな生活を求め
貧しさの中の豊かさを求めるしかないのです。
日本人全てが、働いただけ出費をしていたバブルの頃とは異なり、誰もが
保守的な人生を送る事を良しとしているのが、日本社会をいつまでも
豊かに出来ない大きな原因でも有るのです。

この分けられた社会が、今後、トラブルなく進んでいくには、豊かでない人達が
基本的人権が守られ、経済的に未来を不安視しないでいられる社会を築く事です。
豊かでない人達を富裕層の人達の様にすると言うのは現実的ではなく
経済的に豊かでない人であっても、生活の事健康の事を心配しないで生きられる
死ぬまで衣食住の基本が守られる社会をつくることです。

リーダー達は、基本的に、一般社会の生活に疎く、頭の中の知識としては
知っていても、実感としては描けない方が多いのです。
ただ、多くの施設を作り、資本を投じれば、多くの国民は喜ぶと思っているのが
残念な所であり、国民のメンタルを理解できなければ、本当の国民の望みを
叶える事は出来ないのです。

そもそも、この二極化を生んだ日本社会は、日本人が、本当に日本人にとって住みやすい
豊かな日本を築こうとしなかった、各人の欲望の元に作られた事が原因なのです。
競争社会を創り上げ、他人の事は構わず、己の欲望の為に生きる事を良しとした社会が
人々の中に差別を生み、いじめを始めとする様々なハラスメントを生んだのです。

自分の欲望の為には、他人を不幸にしたり苦しめても構わないとする風潮が
我儘で身勝手な日本のリーダーを生み、多くの国民を苦しめる日本社会を作ったのです。
組織が大きく成れば、反対する者を力でひれ伏させ、社会的力で葬り去ると言うのが
日本社会の在り方になり、人々の関わり合いも、常に利害関係が伴う事で、誰しも
他人に対して身構えなければ成らない、生きにくい国にしてしまったのです。

豊かな人達は、貧しい人達の反感を買わない様にセキュルティーをより高め、
貧しい人達は、豊かに成れば幸せに成れると、ますます、自己中心的な考えを
持つよ様になっているのです。
豊かに成れば他人が信じられない社会が人々の生活を苦しめているのです。

人間不信の塊の様な著名人やリーダー達が日本社会を担っていて、国民を、本当に
幸せに出来る訳が無いのです。
案の定、ニュースやメディアに暴露される著名人の我儘な振る舞いは、
常識からはかけ離れた、我儘で、幼稚で身勝手な行動や言動が目に付きます。
彼らは、その地位を維持するための様々な知識や術を持っているものの、
社会的な常識や対人的な思いやりに疎く、常に、自己中心的に生きて来たのが
良く解ります。

日本社会が本当に豊かに成る為には、経済的な豊かさよりも、対人的な豊かささ
自分とは違う考えを持つ他人を理解する感覚を育てる社会を作る事です。
経済的に豊かに成ったものの、他人を恐れる社会に生きる事は、争いの社会に
生きているのと何だ変わらず、心が休まる事は有りません。
他人の気持ちを察し、自分の気持ちと相手の気持ちを知る事に依って、
安心した社会生活が営めるのです。
人によって守られ人を信頼できる社会は、豊かな心を育てます。
日本人が、表向きだけ幸せの振りをしなければ成らない社会がこれ以上続けば
豊かな感性も失われ、高齢者と言わず、全ての世代が不安な人生を
送らなければならなく成ってしまうのです。



 

 

 

 





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