めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

人の欲望は限りなく、苦しみは尽きず

2018-11-20 15:22:13 | 社会

日本社会を担うべき政治家の不正疑惑から始まり、日本を代表する世界的自動車メーカーの
敏腕会長の逮捕と、相も変わらず多くの人達をリードして行かなければならない人達の
私欲に満ちた悪行が目立ちます。
昨晩遅くから今朝のニュースは、世界の大会社のトップを兼任していた彼の話で持ち切りです。
確かに大変な事件とも言えますが、戦後の歴史を見れば、日本を代表する総理が贈収賄事件で
逮捕される等、毎年と言っても良い程、社会を担っている人達の不祥事や不正が目立ちます。

庶民から見れば、まるで雲の上の出来事の様に感じられますが、社会的に地位を成す人達の
不正行為である事からニュースに成るだけで有って、現実社会に於いては、様々な企業で
秘密裏の元で行われていると言え、正に、氷山の一角と言わざるを得ません。
つまり、日本社会に於いては、大なり小なり同じような事が行われていると言えるのです。

これは、個人の問題と言うより、日本社会が持つ病的な部分であり、見つからなければ
知られなければ、何でも自分の利益に繋がる事には触手を伸ばすと言う、人間としての
モラルも節度もない、人間の実態を示していると言えるのです。
消費経済社会に生きていると、常に、外見的な地位や財産が気になるもので、経済的に豊かで
地位が有れば、その人の人格も優れていると錯覚を起こしてしまいます。

しかも、社会的価値基準が外見的姿であるような教育を受けてきている事から、多くの
日本人は簡単に騙さえ、例え不正が身近で行われていても気が付きません。
と言うより、社会的に地位を成した人は、正しい事をしている人格者の様な知識を埋め込まれ
大人に成っても、従順にリーダーに従う様に教育されているのです。
例え疑わしくとも、自分より地位が上であったり社会的に豊かな生活を行っていると、
上になっている人達の我儘の特性の様に黙認する傾向が有るのです。

この事は、もし、自分が社会的地位を成せば自分も何でも好きな事が出来て、我儘が出来る
とする考えが潜んでいるからとも言えます。
つまり、日本人であれば、誰でも社会的地位を成せば、それと並行して我儘が出来るとする
縦社会に生きる人達の甘えが有るのです。
国のトップである人や企業の代表ともいえる人達が、誰もが崇める様な人達が私欲に走る
と言う事は、何も驚く事ではなく、現代人の人間としての成熟度がその程度である事を
示しているに過ぎないのです。

社会的に問題となっているハラスメントも、自分が相手より上の立場にあると思った瞬間
心の中の欲望が優先し、我儘な行為に至ったり、暴力沙汰を起こしたりしていると言えます。
社会的に下の者は、どんなに欲が有っても我慢をし、上に成れば、我儘が出来ると言う社会が
世界的に豊かな先進国家と言われる日本の実態なのです。
経済的に豊かと成っても、人間としては全く進歩出来ていない日本社会が生み出す問題が
毎年の様にニュースに取り上げれていると言えるのです。

日本人なら多くの人が、日本の政治家のトップに成ったら、企業家のトップと成ったら
同じような不正を働く可能性があると言う事です。
もちろん、人間ですから、常に未熟であり不完全であるのですが、その事を黙認しないで
少しでも人間として成長するために、様々な事を学ぶことが必要と成るのです。
子供の頃から、社会人になるまで心と身体を育てるのは、単に社会的に豊かな生活を目指し
我儘な地位を築くのを目的とするのでは無くて、一人の人間的に成熟した社会人として
社会の一翼を担い、自分の関わる人達を幸せにする人格を育てる為なのです。


しかしながら、その実態は、外見的には立派な社会人に見えて、その中身は相変わらずの
自我を通す事しか考えていない子供が多いのです。
まるで、オモチャをいっぱい持って喜んでいる様な社会的地位のある方が増えているのです。
メディアは、ますます、外見的な豊かさを要求し、国民も見てくれの大人を目指します。
社会的な価値を外見としてしまう事から、人間の中身を感じる能力が成長できず、
その結果、対人的トラブルが増加してしまうのです。
人間の本性を見抜けない人々と人の心を平気で傷つける社会的地位のある人が向かう道は
信じがたい不正であったり疑惑行為であり、それに落胆する人々に成るのです。

この実態は、ある意味、人間の歴史であり、人は、何時になってもこの様な人間関係に
生きていると言えるのです。
ただ、問題は、数千年の歴史を持っても、経済的豊かな現代社会に至っても、いまだ
その本質は無くならず、持てる人と持たざる人、支配する人とされる人と言う普遍の
社会原理は変わっていないのです。
そう考えると、人間の本質は、どんなに文化が進歩しても、どんなに学習を行って
教育したとしても、まるで本能の様に変わらないのではと思えてしまいます。

今やネットの時代と成り、世界中から溢れる情報が手に入ります。
当然、世の中の出来事は瞬時に伝えられ、誰しも、正しい情報を知る事が出来ます。
つまり、人間として如何なることを行えば、多くの人が幸せに生きられるかと言う事を
学ぶことが出来るのです。
つまり、誰もが性悪の判断が出来る時代と成っているのです。
人類は、時を経るにつれ、より正しい知識を得る事に依って、より人として心豊かで
幸せな人生を送れる様に成るのです。

しかし、現実は、一向に戦争は無くならず、世界は、一部の人達に支配され
多くの人々が、日々の暮らしにすら困窮しています。
平等であるべき人間社会は、常に生活格差が生じ、支配者たちの横暴が目立ちます。
どんなに社会が進歩したとしても、この貧富の差が無くならないのは、私達の
努力が足りないのではなく、人類の本質が、それを求めているとしか言えず、
平等を求める人達でさえ、心の中には、支配する事、自分だけの欲望を叶えようとする
人間の本能にも似た強い業が有ると言えるのです。

人々が本当に幸せと思える時、それは、自分の立場が多くの人達を上回り
欲しい物を何でも手にする事が出来る地位に成った時なのかもしれません。
社会的に地位が高いと言われても、本人にしてみれば、自分より更なる
上の地位に在る人がいる限り、欲望は尽きないと言えるのです。

比較経済社会は、目標をもって自分の生活レベルを上げる事は出来るのですが
どんなに社会的に地位を高くしたとしても、比較する気持ちが無くならない限り
その終着点を見出す事は出来ず、常に欲求不満の状態が新たなる欲望を生み
自分の地位の確認のために、自分より下と見なされる人達に権力をかざすのです。

例え100億円の収入が有ったとしても、世の中には、更なる上の人が居るものです。
経済社会にいる限り、その差額は、自分の満たされない部分としていつも不満の
対象と成って、更なる収益を目指す事と成るのです。
庶民には、到底望めない様な収入で有っても、自分の地位にあたるものとしても
それ以上の物を求める限り、金額的な価値は考えられないのです。

高い山に苦労して登った時、周囲を見渡してみると、更なる高山が幾つも有れば
自分の登った山の高さの喜びは消えてしまうのです。
まるでエベレストの頂上に登った時の様な頂点を感じない限り、人間は満足した
日々が送れない生き物なのかもしれません。
それ故、地球上の生き物の中で最も進化できたのかもしれませんが。

しかし、誰もがその様な自分の欲望のみを求めていては、社会全体としては、
機能を果たす事は出来ません。
其々がお互いに役割を分担して、助け合って社会を組み立てて行く事が大切です。
その為には、其々の役割を尊重し其々の個性を認める人間的な心の成長が必要です。
今の人間社会に一番必要なのは、人間だけでなく、あらゆる地球上の生き物が
生きて行ける環境を作る事なのです。

一部の人だけが豊かな生活が出来る様な社会では、いつまで経っても戦争は無くならず、
人間だけが豊かな暮らしをする、地球の食料と資源を独占する様な社会構造は、
いずれも、人間にとっても生き物にとっても幸せな未来を望む事は出来ません。
地球温暖化による気象異変も、人間の我儘がもたらした悲劇と言えます。
自分の欲望だけに固執するのではなく、人間の本質を正しく理解して、
誰もが幸せに生きれれる社会を目指す事が大切と思われます。

人類だけの欲望を満たすのではなく、地球上のあらゆる生き物の生活環境が
生活繁殖に相応しいものとなる様に人類の生活を変えていく事も大切です。
まずは、自分自身から、身の回りにある人を含めて環境の全てをシッカリと
認識し、状況を深く理解する事に依って、自分がどの様に生きて行けば良いかを
考える事が出来、より豊かで幸せな生活を叶える方法を知る事が出来るのです。

 

 



 



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