羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口体操との出会い10

2005年12月06日 09時49分52秒 | Weblog
 「かかあ天下と空っ風」、そして「赤城の山も今宵限り」というせりふを聞いて、即座に群馬県を思い浮かべられる人は、かなり年齢が高い?
 
 この空っ風の吹きすさぶなか、地声で号令をかける若き教師。
 学校中でいちばん声が大きく、いちばん体格もよく、いちばん指導力があり、いちばん若かった。
 全校生徒が校庭に集合し、一糸乱れず体操をおこなう。
 全校生徒が校庭に集合し、有事に必要な訓練を行う。
 拡声器はない。
 若き教師の名は、野口三千三。
 先生が小学校に赴任されたのは、昭和11年。
 すでに大西洋戦争に向かって、一歩、また一歩と進み始めた時だった。

「すっかり声を潰してしまったのよね」
 野口先生は、それまでいい声だったそうだ。本人が言うのだから間違いない。

 今日のテーマとは外れるが、先生は歌うことが得意だったという。
 とくに混声合唱は大好きだった。
「たった一つの理由は、男子ばかりの師範学校が、群馬女子師範と合同で、合唱する機会があったからなの。楽しかったよ。ドキドキしながら、ちらりと女子学生の方を見ない振りして見るわけね」
「声は、かなり上ずったんじゃありません?」
「そうね。とにかく一緒に歌うことは天にも昇る心地って感じだった」
 こんな会話を交わしたことがあった。

 さて、号令について。
 先生の号令は独特だった。
「号令は、動きのリズムを促すものだし、もっといえば動きのイメージを喚起するものでなくちゃって思うの。野口体操の号令は、戦時中からすると、ずいぶん変わったものだと自分も思うのだけれどね」
 普通の体操ともまったく違う。だから野口体操なのだ。
 
 こればかりは、誰も真似できない。
 野口体操を始めて、非常に長い期間、自宅で動きを練習しようとすると、できるものとできないものがあった。おもに立って動くものは、難しかった。先生の号令なしには、まったく動けないのだ。これには参った。
「上体のぶらさげ」「腕まわし」「しゃがんで立つ」「腕立てバウンド」エトセトラ。
 ほとんどの動きができなかった。
 
 実は、号令という言い方がふさわしくない。そこでいい言い方はないかと考えたこともある。ぴったりの言い方が見つからない。しかたないので「野口三千三独壇場の号令」といってはみたものの長すぎる。掛け声ではない。だからやっぱり号令ということで、とりあえず落ち着いてしまった。
 
 「上体のぶらさげ」の動きを見た話を書いたけれど、この「号令」も、どんなにことばで説明しても、先生に似せてやってみても、ダメの一言!

 苦肉の策としては、ビデオに納められている動きと、そのときにかけられている「号令集」でも、出しますかね。どうしよう。。。。。。。。。
コメント (1)
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