羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

電車のなかで

2007年05月01日 19時25分43秒 | Weblog
 朝日カルチャーセンター火曜日クラスのレッスンがあった。
 連休の狭間、出席者は少ないと思いきや、パーフェクトに近い人数だった。
 なんだか嬉しかったし、今日は休みだと思い込んでいた自分が恥ずかしかった。

 さて、今朝の電車の出来事から。
 いつもの時間に電車に乗り込み、つり革につかまった。
 つかまる前に妊婦さんが立っていることに気付いていた。出勤されるような出で立ちである。前の座席では、若者がうたた寝をしている。ときどき目を開けて周りを見回すのだが、深々と腰掛けているその目の高さでしかない。すぐまたうたた寝状態に戻ってしまう。その隣には初老の男性が目をパッチリ開けて腰掛けている。その男性は若者と妊婦さんを交互に見ながら、「あんた立ちなさいよ」と言いたげな表情を見せている。

「この青年はきっと前の晩遅かったのよね」
 ネットカフェで一夜を過ごして、今日の仕事場に行くような感じの若者だ。
 起こすにはかわいそうなくらいにぐったりとした様子である。
 もう一度女性を見ると、凛として立っている。人生に張りがあるようだ。元気そうなのだ。母になる覚悟をもって、出勤途中にあるような雰囲気を感じた。

 そのとき思い出した。
 先週、木曜日の夕方だった。
 授業を終えて乗り込んだ帰りの電車の中のことだ。
 このときはお年寄りや身重の方や身体が不自由な方に席を譲るシートの前に立った。小学校高学年の少年が、ゲームに興じている。その脇にお年寄りのご夫婦が立っておられた。おじいさんがときどき少年を見下ろしている。
「席を譲ってくれたらいいのに」
 顔にはそう書いてある。
 しかし、少年は気付かずにゲームに夢中。私立学校の生徒のようだ。制服を着ている。
「君、お年寄りがお疲れだから、席を譲ってあげたらどう」
 のど元まで言葉がのぼってきた。しかし、声にならない。
 その少年もお年よりも私より遠くまで乗っている気配が感じられた。
「降りる寸前に言い残そうか」
 そう思いながらも結局言うことが出来なかった。

 そして今朝の出来事である。
 その自分がつり革に手をかけながら、文章を考えている。それは凄く短い時間ではあった。すぐに「ダメダメ}と打ち消しているのだけれど。
 以前だったら電車のなかで、子供たちに向かって注意をしたし、若者も自然に席を譲っただろう。
 それをみながら、ブログのことを考えている自分が、なんとも情けなかった。
 今度、そうした事態に遭遇したら、勇気を出して「席を譲ってあげて」と言うことが出来るだろうか。自信がない。
 体調がものすごく悪そうな人だったら言える、ことは間違いない。

 それにしても身重なからだで出勤される女性がかもし出す安定感に救われた気がすた。きっと元気な赤ちゃんが産まれるに違いない。そうあってほしいと祈っている。
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