羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 七日目・八日目

2019年05月17日 09時09分39秒 | Weblog

昨日、七日目は夕方になって、ようやく体操と坐禅の時間がとれた。

今までは朝にやっていたのだが、夕方の空気の中で坐ってみると、ゆったり感が違うことに気づいた。

からだの中の緩み感とでもいうのだろうか、呼吸を数えていても、吐き切ってもこれで1日も終わりに近づくような落ち着きだった。

 

さて、今朝は、二つのことが浮かんできた。

一つは、地唄舞の武原はんのこと。

どこで読んだか忘れてしまったが、晩年の暮らしの話である。

起床して、お稽古場を掃除する。清められた部屋にある神棚に手を合わせ、舞の稽古を行う。それから朝食をいただく、という。

坐っているうちに、そうだ、明日から私もやってみたい、と思った。

起床したら、今朝のように草むしりをして、部屋を付けて、床の間に花でも活けて・・・・、あぁ〜、無理だ!

でも掃除をしてから体操をし、坐ってみるかな!

 

もうひとつ思ったこと。

今日は、息を吐きながら、肛門を真下に向けながら、盆のくぼは斜め上方に軽く引き上げる感じをなんども確かめた。

50回を過ぎるころ、重心が後ろに傾くのを感じて、さらに地球の中心方向へ、お尻の穴を向け、盆のくぼを引き上げるイメージをあらためてみた。すると、左右の肩甲骨の骨端を結んだあたりの内側に詰まっている何かの感じを捉えた。

そこで胸の中心を広げるイメージを持ってみたが、あまり解消されなかった。その時点で少し諦めていたら、ふっと昨年夏に出かけていった高輪・泉岳寺で見た澤木興道老師像が目の奥に浮かんできた。

「あの感じかー」

銅像だから坐相は崩れないんだ、などとくだらないことを思い浮かべながら、そのまま100回、数えて終わろうとした。

しかし、からだは終わりたがらなかったので、しばらくそのままでいた。もう数は数えない。なんでもよくなった。

で、しばらくしてから脚を崩して、仰向けに。そこから「真の動き」に入って、胸の中をほぐし、肩から首に重さを受けながら、深い呼吸を数回してから、ゆっくり起き上がった。

本日、八日目は、なかなかに面白い境地を彷徨ったのであります。

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