羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

さまざまな準備

2011年09月10日 08時51分34秒 | Weblog
 豊島園を東京都の公園にして、震災等々の避難場所として確保する。都は西武と買収の話し合いを始める、とニュースで聞いた。朝刊にも豊島園の入場者が最盛期の四分の一に減った事が書かれていた。
 そしてその周辺の住宅にも買収話を持ちかけるらしい。
 実に、複雑な思いがする。直下型地震発生が逼迫していることについて、殆どの都民は今回の震災とその余震の頻発度から、予想をこえて事実起こりうると考えている。その時に立川昭和祈念公園と豊島園とその周辺は、避難地としては貴重な場であることは間違いない。
 しかし、東京西部の遊び場として、子供や若者に親しまれている豊島園の入場者が減ったとしても、西部側からの申し入れならともかくとして東京都が買収にあたる、というニュースを受け止めるには多少の抵抗感は拭えないのは、私だけだろうか。

 それはさておき、身近なところでは、出来る事から始めようと、少しずつ部屋の整理をしたり、防災用品の点検を行ったり、25日の防災訓練には参加する思いを強くした今週一週間だった。
 なによりも昼間は、一人になることが多い母を思うと地域の方々に面倒をかけることになる。そのことの現実感が生まれた。
 10月からの介護保険の介護認定も継続されそうなので、定期的に人を頼む事も視野に入れて整理を始めたというわけだ。

 しかし、この地域は火災による被害が大きいと予想されている。一軒でも火を出さない、という意識と行動が求められるが、非常に難しい。隣家の奥さんと買い物やゴミ出しで会うたびに、そのことを話題にしている。

 最後は、何時どこで地震に遭遇するかに運命はゆだねられるのだが、各自が準備する事は最低限しておかないといけない。しかし、まだ仕切れない物が残っているのが現実だ。
 
 今日は残暑の一日になる天気予報に照応するように、早朝から蝉の鳴き声が聞こえていた。
 それでも秋の空気に移る気配があって、災害に苦しめられる2011年の夏も終わりに近づいたことを感じる朝夕である。
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2 コメント

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即身仏 (かめいど)
2011-09-11 10:03:40
先日、山形に旅行し、即身成仏された上人様(お三方)にお会いしてきました。
その日のために、五穀断ち・十穀断ちなどの厳しい修行を行い、身を清めるのだそうです。
現代人の死生観ではとうてい計り知れないものがあるようです。なぜか湯殿山の周辺は即身仏が集中しています。
湯殿山神社の本宮にもお参りしてきました。御神体の前に出るには、裸足になりお祓いを受けます。

(例によって本文とは無関係ですみません)
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即身仏のお話 (羽鳥)
2011-09-12 09:42:30
よい旅をなさいましたね。死は脚から訪れる、といわれますが、細く固くなっていく身体を感じて、口にする物を断っていくのは、凄い事です。
芭蕉も奥の細道の旅で、特別な宗教体験を「湯殿山神社」でしたようですね。口外することを許されない秘儀とか。
宗匠に消息を伺ったのは先週の土曜日の事でした。お元気でなによりです。
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