羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ルミネッセンス……錬金術師とその系譜

2013年09月19日 09時25分37秒 | Weblog
 昨日、龍村仁監督の「地球交響曲」第七番を見直した。
 そこでは「ネイティブ・サイエンス」の考えが語られている。西欧の科学思想・研究・方法も、ネイティブ・サイエンスの一つだ、という考えに同感している。
 それは音楽についても同様の味方が出来るからだ。

 さて、もう一つ、調べ直しているのは「蛍光現象」についてである。
 やはり、西欧の科学は、ルネ・デカルトの二元論からその輪郭を鮮明にしていったことの線上にあることを思わずにはいられない。
 そもそも固体物質でルミネッセンス効果が最初に認められたのは、Bolognaの靴屋でかつ一時錬金術師でもあったVicencio Casciarolaが行った実験であった、と『宝石学』R.Webster著にあった。
《1602年、硫酸バリウムの鉱物を仮燃したところ、たぶんその不純物による燐光を発するアルカリ土族の硫化物が出来た。》
 17世紀初頭のことである。
 さすがさすが、錬金術師である。つまり科学者なのである。

 1859年、A.E.Becqerelが行った、蛍石・方解石・ルビー・ダイアモンド等の物質のルミネッセンス研究が、発端と言える。
 ほぼ同じころ、J.Herschel や D.Brewster卿、A.Verneuil といった研究者たちは「光ルミネッセンス」についての知識に貢献したそうだ。

 その後、G.G.Stokesによって、正確な「光ルミネッセンス」研究が行われ、「Stokesの法則」と呼ばれる一般則が確立された。(正確な年号は見つからなかった)

 19世紀末には、宝石学の世界で、この研究はさらに深められていった。

 その他、いくつかの発見の年代を移しておく。

 1801年  紫外線の発見
 1888年  電子波の確認
 1893年  真空紫外線の発見
 1895年  X線の発見

 これらの発見の間に「光ルミネッセンス」が研究されている。
 因みに1895年は明治28年、首相は伊藤博文。身近なところでは、樋口一葉が『たけくらべ』を発表した年である。

 西欧の金と宝石への飽くなき追求は、ネイティブ・サイエンスを生み出す原動力であったのかなぁ~、と感慨も一入というより「ビミョウ」である。
 つまり、野口先生に導かれた「石の世界」で、原石の楽しさを味わわせてもらった。カットされ磨かれたダイヤモンド、ルビー、サファイア以外の美にも目覚めさせてもらったことだけは確かだ。

 21日の「からたとの対話」では、野口先生が最後まで磨いていらした「琥珀」と、どこかの部族長か酋長さんが祈りの儀礼の際にかけるような大きな琥珀ネックレースも用意させてもらった。
 
 尚、当日は、こうした話に時間をあまりさけないと思うので、事前にブログに書きました。
 いつものことですが、ちょっと調べると教えたくなるのが素人の浅ましさ、と言われそう。
 錬金術師とその系譜の面白さを伝えたかっただけかも!
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