羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

町の音

2006年09月11日 16時52分03秒 | Weblog
 激しい雷雨が止むと、季節は一気に秋へと移り変わった。
 昨日までの蒸し暑さは、今はない。

 帰宅して、窓も襖も開け放し、風を二階の部屋いっぱいに取り入れている。
 隣家の軒先に吊るされている風鈴の音が、風と一緒に舞い込んでくる。
 この風鈴、真冬でもチリチリと音をたてる。台風が来た年も落ちずにすんだから、何年も同じところに下げられている。

 耳をそばだてていると、いろいろな音が断続的に入ってくる。
 学校から帰った筋向いの小学生の女の子が、「ママ、ママ、開けて」と叫んでいる。子どもたちの2学期もすっかり落ち着きを取り戻したのだろうか。

 染め抜きの旗を立てた「野口屋」のラッパは、一段といい音になった。
「トーーーーー、フーーーーーーー」
 息が続く限り伸ばして響かせていく。
 たとえ、何かを夢中でやっていても、気付かされる十分な長さがある。
「豆腐に揚げ~~、湯葉もありま~~~~~~すっ」
 最近では、大きな声を張り上げて、堂に入った物売りの声が町内に響き渡るようにもなった。

 この町は、ほとんどの銀行があり、スーパーマーケットもコンビニも多い。
 道は畦道がそのまま残された状態で、細くくねくね曲がっているので、車が入ってこられない。我が家でしばらく過す方は、驚かれる。都内でも数少なくなった商店街を一歩入っただけなのに、静かだということに気がつかれる。
 車が走れない細い道のよさである。

 ところで、土曜日の朝日カルチャーのレッスンで板書したのは、『原子力文化』9月号、石川英輔さんが連載されている「エントロピー 現代と江戸 第十五回」のなかから、エネルギー効率の劣等性というところをお借りした。
「現代産業が生み出す工業製品のほとんどは、基本的にはエネルギー効率の劣等性で、エントロピーをせっせと増大させている」とおっしゃる。
 誰でもが実感として持ちやすい自動車を例にあげている。
 
 たとえば、小型乗用車に乗って、1キロメートル進むとする。燃費が15キロメートル・1リットルの車の場合:1キロメートルに付き15分の1リットル=65ミリリットル消費する。エネルギーとしては600キロカロリー。燃費の大部分は、車体やエンジンを運ぶのに消費し、ひたすらエントロピーを燃やし続けている。小型車で約1トン。体重が50キログラムの人なら、自分の移動にガソリンはわずか3ミリリットル。あとの63ミリリットルは鋼鉄製の車そのものの移動に費やしている! と石川氏は書く。
 
 これを読むと、歩けるところはできるだけ自分の足で歩こうという気になる。歩くぶんには、道路は多少狭くても不都合は感じない。

 実は、駐車に関する条例が厳しくなったころからだろうか。このあたりを回る宅配業者は、小型のリヤカー風のものに品物を積み込んで配達している。それだけでも町が静かになったし、排気ガスが少なくなったことを実感する。

 戦後すぐの頃から出た話だが、未だに実現していない商店街の道路拡張。できることなら狭いままでいいいと願うのは無理というものなのだろうか。
 災害には弱いのかもしれないが、日常の暮らしには静かでいい。

 今日は、蝉の声がピタッと止んだ。
 今もまた……チリチリ…チリっと、風鈴の音が聞こえてきた。
 昨日までとうって変わって泣き声のようだ。暑さの中で元気があったのにねぇ~。
 風鈴の伴奏で、秋の虫が合唱をはじめたようだ。
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