羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

最後の訪問

2010年01月12日 09時07分16秒 | Weblog
 去る8日に、母方の伯父が息子の運転する車に乗って来訪した。
 一昨年までは、電車とタクシーを乗り継いで、一人で訪ねてくれていた。
 昨年は、とうとう一度もくることは出来なかった。
 その伯父は父と幼馴染で、‘茂ちゃん、先にいちゃって、寂しいよ’と言いながら、仏壇に線香をあげてくれていた。
 今度は‘いい時にいったよなぁ’と言いながら線香を手向けてくれた。
 お茶を飲みながら、母とは昔の話に花を咲かせていたが、さすがに‘斑惚け’がすすんでいるらしく、最近のことには反応が鈍くなっていた。
 耳の聞こえは相当に悪い。だが不思議なことに、昔話をするときには受け答えに支障がない。

‘これが最後の訪問に違いない’と、本人も含めて皆が感じているせいか、帰宅の車の窓を開けて言葉にならない別れの挨拶に、名残惜しさが募った。
 そういえば、父が存命中にも、病に倒れた従兄が車椅子を娘に押されて‘伯父ちゃんに、伯母ちゃんに会いたい’と、訪ねてくれたことがあった。
 また数年前には、同じく90歳を目前にした幼友達が娘に手を引かれて、線香を手向けに来てくれた。
「お父さんが、生きているときも、亡くなった後も、残された時間がもう少なくなったと思う人が訪ねてくるのね」
 たとえ娘や息子に面倒をかけても、覚束ない足どりでも力をふりしぼって自分から出かけられることは、硬い表現ではあるけれど人としての最後の尊厳の自覚かもしれない。
 病弱だったが常に穏やかだった父には、不在になっても別れの挨拶をしたくなる‘何か’が生まれながらに備わっていたのだろう。戦中から戦後を共に生きた時間を確認するかのようだ。
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