羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

宗教 音楽 幻覚

2013年03月25日 12時57分41秒 | Weblog
『知の逆転』NHK出版新書は、随所で腑に落ちるところに出会った。
 その中で、思わず笑って、そのあとドキッとしたところがある。
 それは第三章「柔らかな脳」だ。オリバー・サックスへのインタビューである。
 1933年英国ロンドン生まれの脳神経科医として診療を行うかたわら、精力的に作家活動も展開している、とプロフィールにある。『レナードの朝』「音楽嗜好症』ベストセラーの著者。

「宗教をお持ちですか」
 インタビュアー・吉成真由美さんは単刀直入に問う。
「私はキリスト教の実践者ではあるが、信仰者ではない」とフリーマン・ダイソンが書いている例を挙げて、それに似ているかもしれない、とサックス氏はこたえる。
 小見出しは「宗教と幻覚の関係」ーー神聖な音楽なんてものはない、あるのはただの音楽だけだーー

 読み進む。
 99歳で亡くなった名指揮者が年の暮れにヘンデルのメサイアを振っていた。その指揮者によると、メサイアはイタリアの卑俗なラブソングから来ているという。
 で、「そもそも神聖な音楽や、宗教的な音楽、軍隊の音楽などというものはない。あるのはただ音楽だけで、それがいろいろな状況でさまざまな目的に使われているだけのこと」だと考えていたらしい。
 ブラームスやベルリオーズ、ヴェルディのレクイエムを特に好んで演奏していた彼曰く
「これらの作曲家はみな無宗教者であった。宗教の高い感性や想像力を表現するのに、宗教的な信仰は必要ない」と聴衆に説明していた、という。

 さらに話は続く。
 ジョナサン・ミラーは、人々が感極まって涙にくれてしまうほど見事なバッハのマタイ受難曲を毎年演奏する。あるとき演奏がおわったあと、歓喜に震えて涙している聴衆を尻目に
「無宗教のユダヤ老人が指揮したにしちゃあ、悪くない出来だっただろう」と。

 たしか永井荷風だったか、こんなことを言っている。
「キリスト教が理解できないから、西洋音楽はわからない」というような趣旨だ。
 その言葉が伝わったかどうかはさだかではないが、バッハを演奏するには、最低限の教養としてキリスト教と当時の各国にあったバロックダンスを知ることが必須だ、と言われたことがある。
 さきの言葉に照らしてみると、キリスト教を知識として知ることは必要だが、信仰者になることはない、ということか。
 それ以前に、日本人が演奏する難しさはあった。
 それはもっと別の“身体的なリズム感”であったり、“文化土壌の違い”であったりする。
 そんなとき普通の日本人が持ち出してくるのが、教会オルガニストとして子だくさんだったバッハは、家族を養うためにいかに努力したか、という俗っぽいエピソードである。わかったような気になって、バッハを弾いてみたりするが、ダメなんですよ、それじゃ。
 そもそも音楽は理解するもんじゃないわけ。

 話を戻そう。
 常識的には、信仰があって実践が生まれる、と考えている人は多いと思う。
『仏つくって魂入れず』
 仏像を作っても、魂を入れる『入魂』の儀式をしないと、「仏像」にはならない。つまり、作る人間と信仰の対象として拝む人間は別ってこと。演奏する人間と、自らの信仰を昇華させるひとつの行為として演奏を聞く人間の精神の有り様はまったくステージが違うということなのだ。
 さっきの話では、「精神(信仰)」と「肉体(行為)」は別みたいだなぁ~。
 作る人は“実体”と挌闘する。実体(肉体)ほど一筋縄ではいかないものはない?

 私事、11歳ころ、初めてレコードでイタリアオペラを聞いた。イタリア語の意味はわからなかった。しかし、涙があふれて感動に震えていた。それ以来、オペラは好きだ。筋書きはかなりバカバカしいものがある。それなのに音楽として、官能をゆたかに刺激してもらえる。これぞ音楽、醍醐味が味わえる。
 元気になりたい時には、iPhoneに入っている3大テノールを聞く。これに限る。
 実は、音楽に言葉はいらないのかもしれない。ロジックはいらないのかもしれない。
 ただ、無心で、音に浸る。リズムに委ねる。波に乗る。脳幹の深いところに刺激が通じて、命が目覚める感じがする。それって幻覚であって幻覚ではない。
 そのことと、演奏家になることは別のステージももたなければならない。
 
 芥川龍之介は、文学創造でこの問題と向き合っていたな!(今、そう思った)

 このインタビューは「失われた感覚器官が、幻覚を生む」につながっていく。
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