羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

演劇界のトヨタ

2009年03月02日 16時13分22秒 | Weblog
 知人の娘さんが、何が何でも劇団四季の研究所(養成所)に入りたい、ということで相談を受けた。
 私なりに情報収集し、ホームページ等々も調べてみた。
 そこから得た独断。
「四季は、演劇界のトヨタになろうとし、なりつつある……」
 たとえばプリウスとかレクサスといった最高級のブランド品を作るように、一つひとつのミュージカル作品を‘四季ブランド製品’として製作し、市場に出すことができる大企業劇団だということ。(その次に続く二番手の劇団はなさそうだし、そうした発想は‘真の演劇(表現)活動’ではないと考えるのかもしれないが……)
 
 たとえば、一つの演目を複数の場所で同時公演が打てるなんて!
 役者はトヨタの素晴らしい車の部品と考えるとわかりやすかった。
 部品といっても非常に性能がよく美しく鍛え上げられたものだ。
 そのなかに光輝く主役(複数・クローン)だけがその作品の名前‘○○’を冠してもらえる。
 当然、海外に輸出できる。まずはアジアかららしい。
 つまり四季のミュージカル作品は、堂々と世界に出せる文化になったのだ。
 
 もちろんトヨタの車も文化だし、資生堂の化粧品も文化だ。
 ある理念に裏打ちされ、みごとに磨き上げる技術を伴って、はじめて文化となりえる。
 逆に企業も文化にならなければ、世界に出て行って通用しない時代になった。

 しかし、本来の文化は‘ガラパゴス的進化’を遂げた文化を‘文化’としていた。
 そこの風土でしか味わえないもの。
 誰にも彼にも理解できるものではない、知る人とぞ知るものが高度に文化的であるという暗黙の了解が成り立っていた。
 その点に誇りをもち、ときには大きな犠牲も厭わず、人々は文化を守ってきた。

 ところが、実は、単純な上下関係ではなく、文化にも階層性がある。多様性がある。そのふり幅が大きくなったのが現代かもしれない、と思い始めている。
 
 知人の相談事から、こんなことを感じた。
 春の日の戯言と聞き流してくだされたし。 
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