羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

良くない歌

2008年04月02日 09時37分45秒 | Weblog
 昨日の日経新聞夕刊「プロムナード」に、作家の林望氏が執筆中のエッセーを読みながら、小学校のころを懐かしく思い出した。
 お題は「洗い髪」。
 出だしはこうだ。
『「洗い髪」と書くよりも、「洗ひ髪」と、旧仮名遣いで書いたほうがしっくりするようなことばである』

 その「洗ひ髪」から連想される歌が『お富さん』だという。
 
 ……粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪……

 春日八郎が歌って流行らせた。
 昭和三十一年に小学校入学した私も、この流行歌を口ずさむどころか、大声をあげて歌っていると、周りの大人たちに制止させられた。それでもスキをみてまた歌う。

「ゴシンゾサンエ↑ オトミサンエ↑ ヤサ オトミ↓ シサヒブリダナ~~~(江戸っ子はヒとシが逆になる)」
 
 皆で「粋な黒塀……」と歌ったあげく調子に乗って、胡坐をかき、袖を捲り上げる真似をし、腕を組んで、見得を切るところまでを真剣にやってみせる友もいて、周りで囃し立てる。
 子どもたちはノリノリで『白浪五人男』よろしく五人がずらりと並んで思い思いに見得を切る。
 それが目白にあったお嬢様学校附属小学校の休み時間や掃除時間のことだった。
 懐かしいなぁ~!
 
 当時、その歌が歌舞伎の『与話情浮名横櫛(ヨワナサケ ウキナノヨコグシ)』の世界だという何となくの認識はもっていたから不思議だ。誰かが親から聞いてきたことに違いない。
 お腹を抱えて笑い転げていた小生意気な子ども時代。
 
 その学校ではほとんどの子どもが日本舞踊を習っていた。
 自然に歌舞伎の名場面が再現されたのだ。
 昭和二十年代から三十年代は、東京では幸いにして焼け残った町に、粋な黒塀に見越しの松を見ることが出来た。
 父が懇意にしていた我が家から近くにあった中野新橋の待ち合いには、時々連れて行ったもらった記憶がある。そこには綺麗な娘さんがいて、その横顔をちらりちらりと覗き込んで、何となく気持ちが華やいだり艶めいた記憶までも残っている。
 
 このエッセーは、江戸時代の鬢付け油で結い上げた髪にまつわる「洗い髪」の話なのだけれど、読み終わる前に子どものころに引き戻されてしまった。
 今頃になって流行歌『お富さん』は、「良くない歌」だったことに苦笑している。

 しかし、もっと驚くのは歌の命が長かったことだ。
 流行歌『お富さん』は昭和二十九年からだというから、小学校三年生のときにも歌っていた記憶がある。昭和三十三年だ。
 いずれにしても子どもは詳細なわけわからずも、ちょっと「いけない大人の世界」を垣間見るのが好きなのだ。
 
 エッセーによると「江戸も御殿女中は髪を洗ふこと稀なり。京阪の婦女もこれを洗ふ者はなはだ稀なり」とある。
 筆者は言う。
「たまさか髷を放って洗った髪は、すぐに油をつけて髷に結いたくはなかったのであろう。(中略)そんなしどけない姿でいるというのは、恥ずかしくもあるけれど、またいっぽう仇な(艶っぽい)風俗でもあったわけである」

 なるほど! おホホホほっ……。
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