羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

フラット化する世界とローカルな文化

2006年09月13日 10時20分34秒 | Weblog
 最後の抵抗「携帯電話をもたない」が、今年の5月に崩れた。
 町から公衆電話が減ってしまった。そのことがいちばんの理由。
 そしてもうひとつ、仕事や友人との待ち合わせ方法が変わったことがある。
 ひとり携帯を持たない暮らしは、とうとう脅かされてしまったから。

 以前にもブログに書いたことがあるが、私自身、手書きからワープロに変わって、かれこれ20年近い年月が過ぎた。最初の機種は熟語変換もできず、ディスプレーに映し出される行数は、3~4行に過ぎなかった。
「僕は、活字が好きだよ。それにあなたの字は、小学生並だから、絶対、ワープロがいい」
 ワープロを使いはじめた当初、野口三千三先生のこう言った後押しもあって、勢いづいた。
 気がつくと、いつの間にか、手書きでは文章が綴れなくなっていた。
 実際、ここまで来ると、ピアノのキーボードが、ワープロのキーボードに置き変わっただけではない大変化がもたらされた。

 何時しかワードプロセッサーから、パーソナルコンピューターへ。最初はMacだった。メールを始めた当初ファックスもパソコンから送信していた。メール相手は、同世代にはあまりいなかたので、若者との交流が中心だった。当時は、まだまだ手紙と電話が優勢で、個人の間ではファックスがようやく使われ始めているような状況に過ぎなかった。
 
 1998年(平成10年)に、「野口体操公式ホームページ」を立ち上げて8年。
 振り返ると、この十数年の間に、ISDNにするためにプッシュ回線に変更し、ADSLのためダイアル回線に戻し、さらに昨年の改築で光ケーブルを入れた。ご丁寧にホーム・ランケーブルで、4箇所使用可能にしてみた。乗ってしまったこの数年の変化は、ものすごい勢いである。

 こうしてめまぐるしく変わる環境のなかで、携帯電話が最後に残っていた。これがいちばん使用頻度は少ない。来年は止めようかともおもっている。
 固定電話・ファックス専用電話・インターネット・郵便・宅配便、そして携帯電話である。
 見えない線につながれた生活を、何時、切り上げようか、などと考え始めている。
 そうはいっても仕事を続けている間は、すべて機能していることを日々実感しているから、止めることは難しそうだ。
 今のところ、追われている感じはしないから、まぁ、いいか、としている。

 先日、読み終わった本にこんなことが書かれていた。
 IT革命・世界のフラット化で、インドや中国の人々は、移民しなくてもイノベーションが可能になって、地域文化がしっかりと守られるようになったのだという。
 たとえば、発展途上国の若いエンジニアは宝くじが当たる確率でビザを取得し、やっとありつける職場は、凍えるような寒さのミネソタだとする。そこに移住することは、民族衣装を脱ぎ捨てること。慣れ親しんだ料理や音楽をあきらめること。大家族とはなれて孤独に暮すこと。
 ところが「世界のフラット化」によって、それらをせずに、生きられる道が開かれてきた。つまり、生まれ育った土地の文化を捨てて移住する必要がなくなったのだという。
 かりに故郷を離れて西欧諸国に暮すことを余儀なくされた発展途上国の人々も、世界のフラット化を利用して地域文化を守ることができると書かれていた。
 目が点になった!
 読み進むと、次には、こんなことが続く。
「オンラインで故国の新聞は読めるし、IP電話を使えばただ同然の料金で家族や友人と話をすることができる。…中略…。個別化の力は、均質化の力と拮抗していると思われる」
 書名は、『フラット化する世界』トーマス・フリードマン著 伏見威蕃訳 日本経済新聞社 である。
 ブログやGoogleは、インターネットに接続する個人にグローバルな競争力を与える力となったらしい。ビジネスの在り方がかわれば、当然、働き方もかわるということ。

 著者は言う。
「グローバリゼーションを通じてアメリカ化する力は、いまだになお強大である。…中略…。グローバリゼーションの結果として誰もがアメリカ人みたいにしゃべり、歌い、踊り、考えるようになるというのは、とうていありえないように思われる」
 ローカルのグローバル化が、グローバリゼーションと文化のアイデンティティー問題として浮上しているようだ。
 世界中にさまざまな文化をもった人々が拡散すれば、孤立集団をつなぎ合わせる、巨大なグローバル市場までお目見えするといわれると、なんだかクラクラしてくる。
「ローカルな文化、芸術形式、様式、料理、文学、映像、主張のグローバル化が促進され、ローカルなコンテンツがグローバル化する」
 世界のフラット化は、激しいアメリカ化には結びつかないと、著者は確信していると書く。

 帯には「子どもたちがインドや中国との競争に勝つためには、何が必要なのか。現代人すべての必読書」とあるが、子どもたちとは、まずアメリカの子どもたちを指している。それはそのまま先進国といわれる国々の子どもたちにも当てはまるらしい。
 
 ここが重要!
 フラットな世界では、IQ(知能指数)も重要だが、CQ(好奇心指数)とPQ(熱意指数)がもっと大きな意味をもつと指摘し、今の子どもたちには、勉強する熱意と発見の好奇心をどのように引き出していくのかが教育の課題になることを示唆している。
「独学するためのやる気」に欠かせない条件だという。

 なにやら野口三千三先生の姿勢が髣髴させられる。
「興味をもつことのできる能力を才能という」とおっしゃっていたではありませんか。
 
 ここ数年、大変革のウェーブは、津波となって押し寄せてきている。
 人生の後半生のターニングポイントギリギリ地点で、「まずは、遺書でも書こうか」と考えた一ヶ月前の私の思いは、うたかたの夢と化した。
 今日もこうして、朝からブログを書いている。
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