羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

季節は巡る

2011年10月10日 07時14分37秒 | Weblog
 朝、窓を開けると金木犀の香りが微風でも鼻に届けられていた。
 まだ夏の空気が残っている時期でも、早朝には、季節の交換が行われいることを最初にしるのがこの香りだ。
 北新宿で野口先生のレッスンが行われていたころ、樹影が見えずとも香りだけが存在を知らせてくる街角で、秋の到来に身をさらす先生がいらした。
 決まってレッスンが終わったあとの安堵感に包まれて立ち止まる姿が、この香りのなかに浮かんでくる。
「鼻がわるくなったから、最近では若いときみたいにお茶もこらなくなった」
 一年に一回、東京駅の大丸で買い物をされていた。九州は八女茶、正確にいうと抹茶がまぶされている茎茶だが、それを大きなリュックにいっぱい背負ってこられる。その一種類だけに限定されて喫茶する日常を過ごされていた。
 そうした先生にも気づかれるほど、金木犀の香りは強いのだろう。
 そして東京の町中では、ありふれた庭木なのだ。

 私が住まうここでも季節の変わり目が知らされるのは、この木が発する“香りのたより”である。
 そして気づかぬうちに、消えていく。交叉するように、筋向かいの家の玄関前に植えられている山茶花が白い花を一輪、また一輪と開き、今頃の時期になると、かなりの数になっている。

 はや、十月も中旬である。
 季節の移ろいは、植物とともにある。かつて涙して読んだ宮本輝の「錦繍」を思い出す山のたよりが聞かれるようになるのも間近い。
 出るのはちょっとした溜息、かな。
 
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