羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口体操ch第10回を撮り終えて・残った疑問が・・・・「私の野口体操」始まりそう

2020年08月24日 10時44分19秒 | Weblog

8月22日、朝日カルチャーセンター「野口体操講座」土曜日クラスは、申し訳ないレッスンに終始してしまった。

前日の野口体操ch 第10回撮影で、エネルギーを使い果たしたのだろうか。

それもあるかもしれない。

いや、慣れてきたせいか、それほど疲れは感じなかった。

むしろ3月末から始めたYouTube配信用の「野口体操ch」が、10回で一区切りがついたはず。

そして次なる企画を考えはじめるところまで、こぎつけていたはずだった。

1回目から10回目のまでの目次までつくって、抜けてしまったことや足りていないところのチェックも行っていた。

しかし、スッキリしない。

なぜだ?

そうした疑問を抱えたままレッスンにのぞんだ。

 

そして、翌日のこと、レッスンに参加してくださった方々に、「お詫びに代えて」と件名をつけて、9月2日YouTubeアップ予定、まだ非公開になっている第10回を独断で添付ファイルして送信した。(新井さん、近藤さん、申し訳ありません)

その日の夜までに、ご覧になった全員の方から返信を頂戴した。

なんとなく私も引っかかっていたところに、皆さんも同様の反応がかえってきているような印象を受けた。

今朝のこと。

明治大学シェイクスピア・プロジェクトのWSの準備ため、これまで集めてあった資料を読み始めていた。

その時、資料の中で、目に止まったものがあった。

ずいぶん前に国立国会図書館で探してきた『現代の眼』のコピーである。

野口三千三著『原初生命体としての人間』の核となっている第1章「体操による人間変革」が寄稿文である。

何気なく三笠版と照らし合わせて読んでみた。慌てて、岩波同時代ライブラリー版とも比較した。

思わず膝を打った。

私のモヤモヤ、土曜クラスの方々の「?」マーク。

すべてがスッキリ解決したわけではない。そうではないが気づいたことがあったのだ。

1、小見出しの変容

2、一行22文字の欠落

「これだ!」

1、小見出しの変容

 『現代の眼』では、『動きが成立するための条件』1967年

 『原初生命体としての人間』三笠書房版 『地球との対話ー状態の「差異」がエネルギーの源泉である』1972年

 『原初生命体としての人間』岩波同時代ライブラリー版 『状態の「差異」を感覚する』1996年

これだけでも、意味の通りが違ってくる。

 

2、『現代の眼』にあって、三笠書房版(当然岩波版でも)で消えてしまった文字の欠落

 『最大量の力を出し、最高速度や持久力を求めるためには、それぞれの瞬間には、全身の筋肉のうち、少なくとも半数の筋肉を休ませていなければならない』

 そのあとで抜けている22文字↓

『満身の筋肉に力を込めたらうごくことはできない』

これがはいってくると 小見出し「動きが成立するための条件」冒頭の言葉が、多少くどくなるが、生きてくるのである。

冒頭

『全力をつくす、満身の力をこめる、精いっぱい、力いっぱい、などのことばでしめされる人間の生きる姿勢は、素晴らしく尊く美しいものである。からだの動きによってこれを検討してみたい』

 言外に含まれる意味、野口三千三がこの言葉に託した真意が、つかめたのであった。

 自分の読む力のなさにガックリしている。

 そのことを読み込んで、理解していなかった。

というわけで、今回の教訓は、野口の言葉を借りると「遡ることは朔(はじ)まることである」

すべてスッキリしたわけではないが、このことがおさえられたことで、「私の野口体操」が、ようやく始まったような気がしてきた。

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