立春の朝に亡くなった母のこと、やらなければならないことをようやく終えることができた。
そこで、一昨日のこと6年7ヶ月入所していた施設を訪ねた。
女性の施設長さんと3、40分ゆっくりお話をすることができた。
入所当初は、混乱する母の行いに若い介護士さんを泣かせてしまったこともあったらしい。
当時の私のブログを読んだ方も、思わず涙せずには読めない、とメッセージをもらったこともあった。
92歳の初秋、救急搬送された病院で手足の拘束を受けたことがきっかけかもしれない。
施設の食堂にいても、車椅子に乗ったまま、身につけている衣服を全て抜き捨ててしまう。
夜中に真っ裸で廊下に這いずって出ていく。
「あの時、入所者さんの身体拘束は絶対にしないで、プロとして親身になってお世話し、落ちついて生活ができるようにする方法をみんなで考え、工夫させてもらいました」
一方の私は、いつ、自宅に戻されるのか。いつ、他に移って欲しいと言われるのか。心配し、いとこ達に相談の電話をかけていた。
一時は、自宅に返すことを真剣に悩んだこともあった。
ところが冬になるに頃には、落ち着きを見せ始めていった。
その後も、着脱行為は時々見られたらしいが、一年もしないうちにすっかり施設の暮らしに慣れてくれた。
この施設は杉並区内にあるとはいえ、中野の北口再開発の場に近く、公園を中心に企業・大学がたち並んでいる地域に隣接している。
明治大学の中野キャンパスは、道路を隔てたすぐのところにあって、散歩に連れ出した母に私が授業をしていた多目的ホールを外から見せたことも。
四季折々の自然の移ろいが感じられる公園では、集まってくる幼子とそのお母さん、学生、会社にお勤めの方々と自然な交流ができる場でもあったのだ。
母にとっても私にとっても素晴らしい環境に恵まれた。
コロナ前は、季節ごとに開催される行事を楽しむことができる。
阿波踊り、和太鼓演奏、スイスの楽団演奏、近所の教会の方々の歌、落語会、入所していた声楽家のコンサート、音楽療法ピアノ伴奏による歌の会、・・・・、自宅にいたら体験することはできない。
思いもかけず、母と共に楽しんだ。
言葉にならない幸福せな時だったことなど、話は尽きない。
その裏にはスタッフの皆さんのご苦労があって、その一端を施設長さんから伺うこともできた。
また施設の存在が近隣の方々に受け入れられていく過程の話なども聞かせてもらえたことは貴重だった。
母の存命中、安心して野口体操の仕事に集中することができたことをお伝えしたが、そうした様子もスタッフの皆さんが共有してくださっていた。
会話をする間、母の最期を一緒にみとってくれた介護士さんたちも揃って会いに来てくれたおかげで、感謝の気持ちをしっかり伝えることができた。
臨終の時までの6日間を、一緒に心を寄せ、面倒を見てくださった方々だ。
気持ちよく、悔いなく、こうして母との別れができたことの満足感は、何ものにも代え難い。
これが最後ではなく、これからは外野としてお手伝いできることはなんでもさせていただくつもりでいることを、お礼の最後にお伝えしてお暇した。
母に会いに通った同じ道の行き帰り、寂しさが胸の奥から湧き上がるのを感じていたが、その思いを胸にこれが供養ということかもしれない、とも思えた。