母の四十九日はお彼岸にあたるということで、早めに法事と納骨をすませた。
コロナ規制も少しずつ緩和されて、通夜・告別式後の精進落とし、法要・納骨後のお斎(おとき)で、父方・母方に加えて父の姉の親戚、三つの家の者、皆揃って親交を深めることとなった。
法要の際の散華と墓前に備えたお香
法事の席で和気藹々というのもおかしな表現だが、97歳母の苦しみのない静かな往生ということで、お集まりの皆さんから理想の最期だ!という言葉と私へのあたたかな気遣いと労いの言葉をいただいた。
母方の実家を継いだ10数年若い従弟と、代替りしてはじめて親しく話すことができた。そして従兄弟の意外な楽しみまで知ることになった。
会食を終えて見送りの際のこと。
寺の敷地に止めてあったドイツ製四輪駆動車に、居残った者の目が注がれた。
「ずいぶん小傷がついているのね」
私の遠慮ない言葉に
「渓流釣りが……」
父方の親戚の一人が
「えー、労多くして何とやら、高尚なご趣味ですね」
従弟の楽しみに驚かされた皆々だった。
その後、同じ区内に住む又従兄・従姉の二人に自宅まで送ってもらった。
その日のうちに、仏壇に供えた新しい母の位牌と父の古い位牌を前に思うこと。
私は、亡くなった人を弔う深ーい行の意味を少なからず知っただけでない。
最期の脈をとった悲しみはあるのだでけれど、母を知る方々が私に向けてくれた優しい眼差しを感じながら、癒しの時を過ごすことができたと思える1ヶ月半余であったなぁ〜と。これを幸せといわずしてなんというのか。
さぁー、次は、自分のことを考えなければ〜。