羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

新学期の不思議

2013年04月17日 13時15分07秒 | Weblog
 新学期が始まると、必ずと言っていいくらいに腹筋と上腕の筋肉が、悲鳴を上げていた。
 シラバスを読んで履修をしたが、野口体操はまったく知らない若者たち。彼ら彼女たちに奇異な視線を受けながらも、ゼロから指導する授業では、全ての動きをやって見せる。
 授業のないときでもレッスンはあるのだが、学生に伝えるのには、予想以上の情熱とエネルギーがいる。

 ところが今年は、まったく筋肉痛が起こらない。
 何とも不思議だ。
 いつもの年に比べて、それほど変わったことはない。
 で、思い当たる節があって、手帳を繰ってみた。
「やっぱり、これだわ」
 1月27日から、毎日のこと殆ど休むことなく「野口流ヨガの逆立ち」の練習をしている。
 正月3日に転んで、肋骨軟骨にヒビが入った。もしかすると骨折かもしれない。もしかすると、というのは、ヒビなのか骨折なのかの診断は、MRIを撮らないとつかないそうだ。大学病院に行くまでもないと、近所の整形外科での診断で間に合わせた。正解だった。

 一ヶ月くらいは、逆立ち練習と思って続けていた。途中から逆立ち姿勢での呼吸の在り方をテーマに盛り込んだ。具体的には、ヨガの逆立ち状態で腹式呼吸を試すようになっていった。
 逆さまになれば、横隔膜の上に腹部内臓が乗ってくる。その時の内臓は液体的だ、と考えられる。もし、固体的な状態だったら、危なくて逆さにもなれない。
 胸郭部は肺の気圧によって保たれる。腹部は内臓の液圧によって保たれる。一度、真っ直ぐに立てるようになると、あとは静かにその姿勢を保ち、呼吸を繰り返す。
「ひとーつ、ふたーつ、みっつー、……」
 逆さ真状態で、呼吸をしながら、数を唱えることだけに集中する。数珠をからだの中心に持っているようなイメージだ。因みに、数珠とは祈りの言葉を繰り返して唱える数を繰る珠のこと。
 この時ばかりは、余分な考えは浮かばない。雑念が入るとたちまち崩れて立っていらない。

 2月も中旬頃になって、ジャック・マイヨールの閉息潜水に興味を持つようになった。
 すると「もっと深く呼吸が出来ないだろうか」と欲が出てきた。
 実はこの逆立ち練習は、自室の押し入れ襖を利用して行っている。
 頼り切っているのではないが、向こうに襖があると思うと、思い切りよく頭の中心を探ることができるからだ。
 呼吸のやり方はこうだ。
 頬を膨らまして、ゆっくり少しずつ静かに息を吐く。こうすると息は少しずつ吐くことが可能だ。慣れてくればそこまでしなくても、少しずつ吐かれる。
 吸う息は、鼻からゆっくり行う。
 その呼吸を繰り返す。それもできるだけ時間をかけて行う。

 当然のことに、吐息の時には腹筋は使われている筈だ。吐き切ろうと思えば、相当に腹筋は働く。
 で、吸息の時には腰の中心から恥骨のあたりへと息を吸い込むイメージを持つ。

 最近になって、こうした呼吸練習を行っていると、頭の中心に重さがズシンと乗ってくる実感だけでなく、非常に穏やかな静寂感を感じるようになった。
 だが、襖のないところではできないのが残念至極。修行がたらない?諦めずに続けてみたいとは思っている。

 というわけで、新学期に筋肉痛が起こらないのは、この練習のお蔭ではないか、と予想している。
 朝に時間を確保して、からだをほぐした仕上げに行う「ヨガ逆立ち」を続けてみたいと思っている。
 新学期の不思議は、不思議でも何でもない、のかも知れないが……。
コメント
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