羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

携帯電話とパソコンと野口三千三と

2010年12月17日 08時26分16秒 | Weblog
 1994年頃と記憶しているが、野口先生は亡くなる四年ほど前に、半年近く入院生活を余儀なくされたことがあった。
 実は、それよりも以前から、一日に4回ほど、私は定時に先生からの電話を受けていた。
 朝の8時半、昼は12時半、夜は7時半、そして就寝前の9時であった。
 その間にも不定期に電話がかかる。
 とくに池袋や新宿、東京駅周辺、有楽町等々、外出先からの電話内容は、珍しいものや興味深いものに出会っての連絡や、多少高価な買い物に迷ったときなどである。

 90年代に入って、初期の携帯電話が市販されるようになったときのこと。
 最初に興味を示されたのが野口先生だった。
 特に、入院時に何が何でも欲しい、と言う希望をかなえるべく、池袋西口の店を尋ねた。確かNTTだった気もするが、はっきりしない。

 当時の携帯電話は、とても大きく重かった。初期の頃(60年代末~70年代)のビデオカメラ同様にセパレート(?)だったような記憶がある。
「大きくてもいいです」
 先生の希望は出先から自由に連絡をしたい、というもの。
 当方は、固定電話で受信するわけ。
「えええっ、受ける身にもなって頂戴」という思いが去来した。

 それはそれとして、携帯電話の電波利用範囲を確かめた。
 わかったことは、まだまだ一般利用には、便利さよりもむしろ無理があることが判明した。
 
 1、地下道では電波が届かないので使用不能。
 2、ビル内も窓近くで微弱電波を受け取れる場合もあるが基本的に使用不能。
 3、木造の家屋でも隣接する建物の大きさと高さによって使用不能。

 使用できるのは、東京都内・電波障害のない広々した屋外のみである。

 それから歳月は流れた。
 
 
 ところで、週刊『ポスト』の孫正義さんのインタビュー記事。
 飛び級で2年早く大学に入学した孫さんの同期には、ゲイツ、ジョブズ、S・マクネリ、E・スミットなどがいたそうだ。彼らは、大学1年のときにマイクロコンピューターのチップが個人で買えるようになって、個人がパソコンを手作りできる時代がはじまった、という。
 20年後のこの世代は「今からちょうど15年前にインターネットという黒船を見た」と言う。
 そこから孫さんの嘆き節「米国は彼らを大切にしてネット企業を成長エンジンにし、日本はダメにして成長エンジンを失っている」と語る。
 悔しい!! 同じ時代を生きたのに。
 
 ちょうど野口先生が携帯を欲しがり、その後PCを奨励した時と呼応している。
「若い人は、どんどん、やる方がいい。活字体が好きよ」
 その一言で、先生の板書を打ち出して差し上げるようになった。確か1986年~87年頃だった、と思う。
 その後、私のワープロは必然のようにパソコンに変わった。

 きっと、今、先生がご存命なら、携帯電話は必需品に違いない。
 受ける方も当然のことに携帯だ。
 私は、定期便の時刻に、自宅にかならず居る必要はない。
 懐かしい思い出だ。
 同時に、‘隔世の感’を身に沁みて実感!
 日本は、取り返せない20年なのか?! 嘆息。
コメント
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